

金融戦争に勝利する条件
posted 2023-10-26シカゴマーカンタイル取引所(CME)とシカゴ商品取引所(CBOT)が合併すると報道されたのは2006年10月17日だった。両取引所は長年ライバル関係にあったが…
市場に植え付けたブランドイメージ
posted 2023-10-13本号では国内商品取引所がかつて直面したシステム共有化問題を取り上げたが、取引所におけるシステム取引のイノベーションはナスダック(米)だろう。1971年2月の設立で、当初…
新規上場商品のヒント
posted 2023-10-0425年前の1998年10月1日、横浜商品取引所が発足した。横浜生絲取引所と前橋乾繭取引所が合併したもので、生絲も乾繭も日本の近代化に大きく貢献した商品ではあるが、すでに産業の…
補助金制度と市場経済
posted 2023-09-28岸田内閣の経済対策5本柱が示された。①足元の急激な物価高から国民生活を守るための対策、②地方・中堅中小企業を含めた持続的賃上げ、所得向上と地方の成長の実現…
先物市場がある商品は価格が安定する
posted 2023-09-23今や世界最大のデリバティブ取引所となったCMEグループも、その始まりは小さな農産物取引所だった。しかも長い歴史の中では危機的状況に陥ったりもしている。
手数料引下げ競争の行く着く果ては?
posted 2023-09-079月6日に配信した国内ニュース記事「ネット証券手数料引き下げ競争 」で触れた各金融商品の手数料引下げ競争が勃発した2005年は、FX取引が片道800円などという時代だった。手数料ゼロが…
先物市場整備は産業化の第一歩
posted 2023-08-24堂島取引所がコメ先物復活に向け動き出す。農水省による「米の将来価格に関する実務者勉強会」、農政調査委員会が発足した「農産物市場問題研究会」に加えて取引所サイドも動きを…
オプションに潜む爆発の芽
posted 2023-08-04大阪取の金オプションがリニューアルしてから、およそ7年が経過するが、プット・コールともに取引ゼロが常態化している。
取引量よりも価格の信頼性
posted 2023-06-07日本の商品先物市場は、この20年でガタガタになった。業界という体を何とか保ってはいるが、これ以上の縮小はまさに命取りである。市場の規模を図る上で、取引量は確かに重視すべき項目…
当業者不在の先物市場
posted 2023-06-011962年(昭和37)、全国穀物取引所連合会(全穀連)が「上場商品研究委員会」を設置した。7月の初会合で検討された商品は、落花生、菜種、ふすま、コーヒー豆、大豆油、とうもろこしの…
米国のATS(代替執行市場)、現在66市場に
posted 2023-05-01PTS(Proprietary Trading System)は私設取引システムと訳されるが、Proprietary (独自・私設)は取引所に対峙する意味合いで使われた。 その嚆矢は1969年、米国で誕生したインスティネット(Institutional Network)で…
関西商品先物の砦「シルクセンタービル」
posted 2023-04-20今から45年前の1978年(昭和53)3月22日、神戸生絲取引所の神戸シルクセンタービルが完成し、業務を開始した。地下1階、地上8階建てで、最上階の8階に立会場、理事長室、事務室…
忘れ去られた金先物オプション、復活の道はあるか?
posted 2023-03-31堂島取引所の貴金属市場が開設したことで、大阪取引所と合わせると金(大阪・堂島)、金ミニ、金限日、銀(大阪・堂島)、白金(大阪・堂島)、白金ミニ、白金限日、パラジウムと…
農水省の農家ヒアリング、コメ先物復活への布石か
posted 2023-03-23農水省が、コメ先物に関するリサーチを始めた模様だ。実際、かつてコメ先物を利用していた生産農家を訪ね、ヒアリングを行っているらしい。先週は茨城の農家を訪問したようだが…
JPXグループもコメ先物上場検討を
posted 2023-02-13東京工業品取引所が東京穀物商品取引所から農産物4商品(トウモロコシ、一般大豆、小豆、粗糖)の移管を受け、東京商品取引所に商号変更してから、12日で10年を迎えた。当時の江崎格社長は…
商品先物苦情件数、直近1年ゼロに
posted 2023-01-2725年前の1998年、テレビ朝日系列で毎週日曜日の10時から生放送されていた「サンデープロジェクト」(1989~2010)で、商品先物取引にスポットが当たった。同番組は報道・政治討論番組…
商品先物トレードコンテスト、今後も定期開催を
商品先物トレードコンテスト、今後も定期開催を posted 2022-12-02FTX破綻で浮き上がるグローバル金融業のマイナス面
FTX破綻で浮き上がるグローバル金融業のマイナス面 posted 2022-11-22過怠金賦課はどこまで広げるべきか?
過怠金賦課はどこまで広げるべきか? posted 2022-10-21取引情報の詳細な公表が市場の信頼性向上に繋がる
取引情報の詳細な公表が市場の信頼性向上に繋がる posted 2022-10-07商先市場の未来年表は?
商先市場の未来年表は? posted 2022-10-02コメ先物、廃止する正当な理由があったのか?
商品先物業界団体変遷史
posted 2023-11-15戦後の商品先物行政は、復興を見せ始めた繊維産業を中心に、自由経済を推進する目的から取引所の設置気運が高まったことで、1950年(昭和25)に「商品取引所法」が制定されたところから始まった。2年後に一部改正が施され、ここで商品外務員制度が導入される。
中国経済の歴史と先物市場の今
posted 2023-11-02農政調査委員会は23日、第6回農産物市場問題研究会を開催し「米の市場とくに先物市場の必要性と大連の先物市場について」と題し中国や農業を主要テーマとするジャーナリストの山口亮子氏が中国における先物市場の現状などを解説した。
商先市場縮小の中で高まった取引システム共有化議論
posted 2023-10-16東京商品取引所が日本取引所グループ(JPX)傘下の大阪取引所が使用する取引システム「J-GATE」の共同利用を開始したのが2016年9月20日で、7年が経過した。東商取のシステム取引は、東京工業品取引所時代の1991年4月1日に始まった。
オプション取引の起源から米国先物市場の確立まで
posted 2023-10-06大坂堂島米会所が、世界初の公設先物取引所であることは広く知られている。幕府によって公認されたのは1730年と、約300年前に遡る。それ以前の堂島では現物受け渡しを伴わない商いが禁制とされ、建前では米手形(享保年間からは呼び名が米切手)を対象とする取引のみが行われていた。
リーマン・ショックから15年、業界の2008年を振り返る
上場9社全社赤字・13業者撤退、市場衰退化が顕著に
posted 2023-10-05
米証券大手のリーマン・ブラザーズが経営破綻したのは2008年(平成20)9月だった。これに端を発した世界的な金融危機は「リーマン・ショック」と呼ばれ、世界同時株安の状態に陥った。当然影響は日本にも及び…
ありがとう、多々良義成さん~激動の思い出
posted 2023-07-10豊トラスティ証券の多々良義成取締役相談役が29日、任期満了に伴い退任した。「商品先物業界のプリンス」と呼ばれ、若い頃から業界団体の要職を務め続けた義成氏も、いつの間にか87歳になっていた。金先物市場は義成氏がいなければ実現できていなかっただろう。経営者としても長年社長として豊商事(現・豊トラスティ証券)の先頭に立ち、同社を業界指折りの大手企業に成長させた。
- 【1】ありがとう、多々良義成さん~激動の思い出
- 【2】用意周到に練られた奇襲策、金市場創設の爆弾発言
- 【3】金管轄巡る大蔵省vs通産省、渦中で力技の答申まとめ
- 【4】大蔵省vs通産省攻防続く、愛妻喪うも市場創設に邁進
- 【5】さまざまな苦難乗り越え、豊商事を業界屈指の大手業者へ
幻の救世主・商品ファンド物語
posted 2023-06-09国内商品先物市場が低空飛行の状態となってから15年ほどが経過する。商品先物を復活させるにはどうしたらいいか、取材で何度も聞いた質問ではあるが、業界をよく知る識者数名が指摘したのは「商品ファンドさえうまくいっていたら変わっていた」というものだった。
- 【1】ブラックマンデーで一躍脚光、金融商品の主役に
- 【2】1988年バブル経済日本に上陸も大蔵省が問題視
- 【3】ゼロクーポン債不使用のファンド設計、通産省主体で
- 【4】日本上陸前に国内商品先物業界が商品ファンドを研究
- 【5】商品ファンド法、92年4月に成立
- 【6】商品ファンドは商社主導、ファンド業協会の設立
- 【7】レオ・メラメドCME名誉会長から本紙への手紙
- 【8】商品ファンドの終焉
「物価の優等生」鶏卵先物上場物語
posted 2023-05-11安定価格は消費者サイドのみ、裏側には卸値の乱高下
日本で「物価の優等生」とされ、値段が乱高下しない安定供給が強みだった鶏卵が高騰している。コロナ禍以前と比較すると、この4年で卸売価格は3倍に暴騰し、スーパーマーケットでは10個入り1パックが300円を超える。背景には鳥インフルエンザで1,500万羽を超えるニワトリが殺処分され、そのうち9割が採卵鶏とされている状況がある。さらに餌代の高騰による影響も大きく、当面鶏卵は高価格帯で推移していきそうだ。
金先物市場が生まれた日
posted 2023-02-171982年3月23日、日本初の金公設先物市場がスタートした。東京商品取引所の前身である東京金取引所が開設した金先物市場の初日出来高は1,026枚と緩やかな出だしであったが、業界の悲願であった大型商品である金に対しては主務省も業者も、まず取引量よりもトラブル回避を第一義に据える姿勢で臨んだ。東京金の上場は海外からも注目を集めていたが、「東京で金先物ができると世界の主要国において24時間体制で常時ヘッジ可能になる」という理由があった。
- 【1】国内初の金取引市場が発足、ブラック業者乱立で問題視
- 【2】通産省が方針転換、国際化見据え商品先物拡大政策
- 【3】法八条の逆転解釈で業界激震、黒船来航に丸腰無抵抗
- 【4】社会党が質問主意書作成、金先物の可否を
- 【5】「安倍―斎藤ライン」で金取引所創設が現実味帯びる
- 【6】証券業界vs商品先物業界、金先物を巡る決死の綱引き
- 【7】金取扱いの実績作り、「東金会」の設立
- 【8】通産省が狙った商取行政のヘゲモニー奪還
- 【9】金先物取引、開始時点で参加業者が144社に
近代コメ流通機構の形成[明治期編]
石油メジャーvs産油国OPEC、原油価格覇権争いの歴史
食料の安全保障、コメの需給はどう変わったのか
商品先物取引の誕生(大坂堂島編)
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