総合取引所スタートから4年、その開設までを振り返る【上】

2024-08-29
日経新聞2007年4月16日の記事

日経新聞2007年4月16日の記事

 2020年7月27日、日本取引所グループ(JPX)傘下の大阪取引所は同じくJPX子会社の東京商品取引所から貴金属・ゴム・農産物各市場の商品を移管し取引を開始した。石油・電力のエネルギー市場は東商取に残ったが、事実上の総合取引所が本格的にスタートした。あれから4年が経過しようとしているが、商品先物市場は低迷したままの状況である。株式・金融・商品を1つの口座で売買できる総合取引所は、経産省、農水省のみならず当然金融庁にとっても長年の重い懸念事項だった。そんな総合取問題を改めて振り返ってみたい。


 総合取引所という概念が国内で初めて世に出たのは、第1次安倍晋三政権が2007年(平成19)に閣議決定した「経済財政改革の基本方針2007~『美しい国』へのシナリオ」に遡る。いわゆる「骨太の方針」で、「取引所において、株式、債券、金融先物、商品先物など総合的に幅広い品揃えを可能とするための具体策等を検討し結論を得る」と提案された。
 報道では日経が方針発表前の4月16日付朝刊でこれをスクープし、商品先物業界は大騒ぎとなった。折しも同日は東京工業品取引所(TOCOM)の定例記者会見の日で、記者の質問がほぼすべて同記事に対するものだった。だがそこから総合取問題は牛歩の歩みとなる。
 2009年1月にTOCOMの顧問となり、同年6月に代表執行役社長となった江崎格氏は総合取構想について、当初「そう簡単にはいかないだろうとの思いがよぎった」と後年本音を吐露している。
 実際、旧民主党への政権交代や、東日本大震災への対応に追われ総合取問題は議論が停滞した。
 だが商品先物業界はこれに抵抗していたわけではなく、江崎社長時代のTOCOMは「主力商品が同じデリバティブで共通点が多い」として、大阪証券取引所との統合を前向きに検討していた。しかし金融庁の指導もあり2011年11月、大証は東京証券取引所との統合を発表し、TOCOMにとっては先を越された形となった。
 議論が再燃したのは第2次安倍政権が発足した直後で、きっかけは2013年1月、先述の東証・大証による経営統合で日本取引所グループ(JPX)が発足したことだ。
 商品先物業界でも、翌2月には大規模な再編があった。TOCOMが東京穀物商品取引所の農産物市場を引き継ぐ形で東京商品取引所となり、同時に関西商品取引所も東穀取のコメ先物市場を引き継いで大阪堂島商品取引所と商号を変えた。現在の東西2取引所体制が固まった。
 翌2014年施行の改正金融取引所に、総合取実現を見込んだ規定が盛り込まれたことも、総合取実現の機運を高めた。さらに同年6月に閣議決定した「『日本再興戦略』改訂2014」では、「総合取引所を可及的速やかに実現する」と踏み込んでおり、大きな前進を予感させた。

(Futures Tribune 2024年7月23日発行・第3301号掲載)

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