石油メジャーvs産油国OPEC、原油価格覇権争いの歴史【1】

ローカル原油WTIが世界指標となるまで

 ロシアのウクライナ侵攻を受け、世界の石油会社もロシア事業から撤退する動きが出始めている。例えば英石油大手シェルはロシア産原油のスポットでの購入を取り止め、天然ガスを含むあらゆる資源についてロシアからの撤退を表明している。石油はロシアの主力商品でもあり、ソ連が崩壊した一因も石油会社からの税収が減ったことにある。原油タンカーの運賃も今回の侵攻で高騰しており、当面資源価格の高騰は収まりそうにない。今回は高騰する原油について、欧米石油メジャーと産油国の価格覇権争いの歴史を特集する。

市場を牛耳る石油メジャー、産油国がOPEC結成で対抗

 アメリカで商業油田が開始されたのは1859年で、日本では江戸時代末期である。それから160年間、原油価格の主導権争いは変遷を辿った。
 大きな節目は1973年の第一次オイルショックであるが、それまで石油市場を牛耳っていたのは「メジャー」と呼ばれる欧米7社の石油会社だった。
 当時の原油価格は1バレル=3ドルの固定相場であり、値段が固定されていたことで日本を含む先進国は安定した経済成長を果たすことが可能であった。
 石油供給はメジャーを構成していたエクソン、ソーカル、モービル、ガルフ、テキサコのアメリカ系企業5社に、イギリス系のBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)、ロイヤル・ダッチ・シェルという2社を加えた計7社が市場を支配する形で行われた。この7社は「セブンシスターズ」とも呼ばれ、オイルショックの1973年当時、7社で原油生産の55%、石油精製の53%、製品販売では56%を占め、セブンシスターズが事実上原油価格や供給量を決定していたといえる。
 こうした状況は産油国にとって面白いはずがなく、フラストレーションが徐々に高まっていった。結果、産油国側で結束し攻勢に転じることとなった。それが「石油輸出国機構(OPEC)」の結成である。OPECの正式名称は「Organization of the Petroleum Exporting Countries」で、1960年9月10日に設立された。
 同日はイラクの首都バグダッドにサウジアラビア、イラン、イラク、クウェート、ベネズエラの5カ国首脳が集結し、石油価格の安定と維持を目的に生産規制を行うこととした。また石油価格の変更については産油国政府との協議を必須条件とし、同席上で産油国による初の石油カルテルが結束されたという一連の流れがOPEC設立の経緯である。
 設立当初はメジャーとの交渉も視野に入れていたOPECだが、その交渉術により徐々に影響力を増していった。OPECの地位向上を決定づけたのが前述した1973年のオイルショックで、同年10月に勃発した第4次中東戦争を受け、産油国はメジャーを含む世界の石油会社に対し原油公示価格の大幅な値上げを一方的に宣言した。この時点で、原油の価格決定権はメジャーからOPECが奪い取ったといえる。


NYMEX原油先物誕生、ローカル原油WTIが世界指標に

 OPECは原油価格の決定権を奪い、主要産油国であるサウジアラビアが戦争を契機に親イスラエル国に対し原油の輸出を禁止したことで、1973年の原油価格は1バレル=3ドルから12ドルまで上昇し、さらに1979年の第2次オイルショックの時には36ドルまで跳ね上がった。
こうした状況をアメリカが静観するはずはなく、当時のニクソン政権は省エネ政策を推し進めるとともに、長期的なスパンでエネルギーの海外依存を減らす方針を掲げた。ただし省エネでは家庭の暖房器具について設定温度を下げる、企業には労働時間を早く切り上げるよう指示、ガソリンスタンドでは1人当たり10ガロンの配給制導入かつ日曜日のガソリン販売禁止といった米国民の利便性を損なう施策を行ったことで、議会は相次いで反対の立場を取り、輸入石油への依存度を高めるという皮肉な結果を招いている。
それでもニクソンは、省エネ政策を推進する最良の豊作について、自由市場の原理を活用することだと主張しており、これが後々原油先物市場の誕生に繋がっていくことになった。
ニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)にWTI原油が上場されたのは1983年で、世界の指標価格という位置付けである。ある意味ではアメリカが一矢報いた形となるが、ただNYMEXの原油価格が世界の石油需給を反映しているとの見方には反対意見もある。
WTI原油は低硫黄、軽質の良質なオイルで、重質のドバイ産原油などと比較すると、どうしても価格が高くなるためである。また、WTI原油の生産はテキサス州内陸部で1日40万バレルほど(世界全体の0.5%程度)に過ぎず、その大部分がオクラホマ州クッシングにある精製所を経由しパイプラインで米国内に輸送されている。事実、日本国内にWTI原油は一滴も入っていないわけだが、こうしたローカル原油であっても「指標価格」として世界的に認知された場合、それは基幹商品としてみなされる。価格決定権を持つことの重要性を認識できる好例といっていいだろう。

(Futures Tribune 2022年3月8日発行・第3129号掲載)
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