ありがとう、多々良義成さん~激動の思い出【2】

2023-07-10
豊トラスティ証券 多々良義成取締役相談役

豊トラスティ証券 多々良義成取締役相談役のFutures Tribune記事


用意周到に練られた奇襲策、金市場創設の爆弾発言

 金先物市場創設の動きが具体化したのは、その木原氏が出版した著書の取り持つ縁だった。1980年12月26日、サンケイホール(東京都千代田区)では木原氏の著書「商品先物取引の基礎知識」の出版記念パーティーが行われ、挨拶に登壇した晋太郎氏(当時は政調会長)が「金取引所を創設すべき」との爆弾発言をし、降壇後に同じく自民党の斎藤栄三郎参議院議員と握手を交わしつつ金上場への陳情を同議員から受けている。
 これをその場にいたマスコミが翌日大見出しで報じ、大騒動に発展したところから、金上場運動が本格化したのであった。
 発言の詳細は「年末の忙しい時に、各方面から予算配分の要請があるが、政府は打ち出の小槌を持っているわけではないからカネがない。今日のパーティーは商品先物取引の本の出版記念会で、商取業界の方々も多勢いらっしゃる。ひとつ金の取引所を作って大いに商いをしてもらい、取引税をたくさん払っていただき、そのカネを政府が、カネが欲しい人たちに有効に配分する。また、金取引所を作ることにより、私設金市場の悪い業者も退治できる。まさに一挙両得、一石二鳥ではないか」というものだった。
 なお木原氏の出版記念パーティーは同郷である下関の有志10人が自主的に行ったもので、約200人が集う大掛かりなものだったが、政治家の参加は晋太郎氏、斎藤議員、林義郎衆議院議員(後の厚生大臣・大蔵大臣)の3人だけだった。
 林議員は冒頭であいさつしたが、林氏の父佳介氏は関門取の理事長を務めたという因縁もあった。なお、子息は現外務大臣の林芳正議員である。
 冒頭のあいさつが続いている頃、義成氏はホール入口で晋太郎氏を出迎えたが、晋太郎氏は歩を進めながら義成氏に「今日、行くからな」と決意を打ち明けている。爆弾発言は場当たり的なものではなく、用意周到に練られた奇襲策だったのである。
 晋太郎発言を要約すると、第一義は国民経済の発展、第二義は金のブラックマーケット退治、これらのため金市場は必要だというもので、義成氏は壇上の晋太郎氏の言葉に鳥肌が立つほどの興奮を覚えたという。


金ブラック業者が商品先物業界に残した負の遺産

 ここで、当時問題になっていた金のブラックマーケットについて振り返ってみたい。1953年8月、政府の金政策が方針転換し金管理法の一部が改正され、国内新産金の一部(後に全部)の民間放出が認められた。
 20年後の1973年4月に金の輸入が自由化され、1978年には輸出の自由化も導入されたことで、金取引の完全自由化が実現した。金先物はこの4年後に開設されることになるが、背景には私設の金市場による個人の被害が多発し、社会問題となっていたことが大きい。
 輸入自由化後、最初にできた金市場は1974年3月に開設した「株式会社日本金市場」で、場所は東京都中央区日本橋茅場町にあった。全国の宝飾店や時計店など貴金属を取り扱う190社が会員となり、客から受けた金現物の買い注文を市場に出し、大手商社が輸入した金地金を販売する形で運営された。
 商品先物業界では「やがて金の公設市場ができる日も近い」とみた一部の業者が、当業者実績を作る目的で日本金市場に参入し始めたが、この段階では健全な市場運営がなされていた。
 ところが株式会社である日本金市場が開設直後から利益を上げ始めたことで、市場運営の旨味を知った会員により市場の細胞分裂が始まる。このあたりの経緯は現代の仮想通貨に通じるものがあるが、市場会員以外の金に無関係な業者も見様見真似で同類の私設市場を立ち上げ、金市場の乱立が進んだ。
 こうした金の私設市場は「ブラック・マーケット」、「ブラック市場」とも呼ばれ、トラブルの火種となり商品先物業者が白眼視されたりしたが、強調しておきたいのは日本金市場に参加した業者はほぼすべてが細胞分裂に加担せず原初の市場に残留したという事実である。
 詐欺まがいのブラック市場を開設したのは商品先物業者の中でも法律で定められた資格水準に達せずドロップアウトした層で、当時先物取引に係る法制が皆無だった香港に渡り日本小豆の先物まがいという悪徳商法で国際トラブルを頻発させていた。
 これら海外組が金ブラック市場の旨味に対し敏感に反応し、日本の私設市場へ濁流し始めた。こうした動きにより1970年代の半ばから後半にかけ金取引に対するトラブルが激増し、メディアなどで金のブラック市場が叩かれまくったばかりか、司直の手を煩わせ国会でも問題視されていた。
 1980年8月、香港商品取引所で金が上場されたことで、日本のブラック市場は下火となり、ブラック業者は香港の金先物取扱業者へと鞍替えした。
 ただこれらブラック業者が商品先物業界に残した傷跡は根深く、主務省の認可を受けた正規の業者がブラックと同一視され、「先物=悪」という世間のイメージを助長する結果を生んだのである。

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参考:(株)市場経済研究所著「(商品先物市場)フューチャーズ群雄の素顔」,(株)市場経済研究所,1998年
(Futures Tribune 2023年6月30日発行・第3224号掲載)
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