食料の安全保障、コメの需給はどう変わったのか【1】

全量政府管理の食管時代から自由競争への変

コメ画像

 堂島取引所のコメ先物本上場申請が不認可(2021年8月)とされてから1年が経過した。その間、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、半年を過ぎた今(2022年8月)も終息の兆しが見えず、ロシア軍がウクライナの穀物輸出港を占拠したことで大量の穀物輸出が滞っている。世界的に不透明感が蔓延する中、日本も8月10日に第2次岸田改造内閣が発足し、農相に野村哲郎参議院議員が就任した。いわゆる農林族の議員で、コメ先物については2019年8月5日の農林部会で、当時の部会長として試験上場延長の最後通告を行った人物だ。コメ先物に対しては、鹿児島同郷の農林族のドン森山裕・自民選対委員長同様、強固な反対派とされている。そんな野村農相のインタビューが8月25日付の読売朝刊に載っていた。22年産の主食用米について概算金が前年比で上昇傾向にある背景を踏まえ「米価を決める一番の要素は需給バランスだ。長期的な価格安定に向けて、需要に見合ったコメ作りが重要だ」と見解を語っているが、生産調整の復活ともとれる発言である。コメ農家にどんどんコメを生産してもらい、余剰分を輸出に回すという構想が除外されているのは、日本に輸出米市場が完備されていないからだろう。輸出米市場(現物・先物)の可能性については一部ではあるがコメ有識者からの指摘もある。輸出米市場の話題は今回措くが、食料の安全保障が重要課題と位置付けられた現環境下で、米価についてJAを主体とする従来の手法を踏襲するのか、現物・先物両輪の売買市場を整備し生産者に選択肢を広げるのか、改めて国内のコメ流通を振り返り考察したい。


コメ生産流通の全量が政府管理だった食管時代

 食管制度(1942~94)が適用されていた時代、コメは生産と流通すべてが政府の管理下に置かれていた。当時、コメ農家は生産したコメについて売り先を事前登録する必要があった。だがどこに売ってもいいわけではなく、国の免許を持つ1次集荷業者に限定されていた。1次集荷業者は登録農家30戸以上、コメの取扱数量50t以上などの許可要件を満たさなければならず、事実上農協の独占状態だった。農協以外の1次集荷業者も90年代初頭には全国で1,500ほど存在し、全国主食集荷協同組合連合会(全集連)という団体を形成してはいたが、コメの扱い量は全体の5%程度に過ぎなかった。 さらにコメ農家が複数の集荷業者と売買契約を交わすことは認められておらず、農協との関係が破綻した場合コメの売り先がなくなるという事態に等しかった。このため農協の方針に表立って逆らうことはできず、結果的に既得権益の保護を助長することになった。
 食管制度当時のコメ流通を詳述すると、まず春先にコメ農家は登録している1次集荷業者(つまり農協)と作付けについてどの銘柄を何俵売り渡すという数量予約をする。ただし売り渡せる量には限度があり、それを超えたコメは超過米として安く買い上げられていたが、食管制度の後期は政府米の集荷が思うようにいかず、超過分についても通常価格での買い上げとなっていた。
 コメは秋に稲刈りを迎え、コメ農家は玄米にして出荷する。前述のとおり出荷先はほぼ地元の農協で、玄米は農協指定の袋に詰めて出荷されるが、コメ袋は無料ではなく1袋80円ほど出して農協から購入した。袋詰めしたコメをパレットに積み上げ自分の納屋に保管し、農協指定の業者がパレットごと農協の倉庫に運ぶという流れである。ちなみに運送手数料は1俵(60kg)当り約70円だった。
 ここで視点を農協側に移すと、集荷(コメ農家にとっては出荷)したコメを倉庫に集めた後、食糧庁の機関である食糧事務所の検査が始まる。コメの品質をもとに1等から3等及び等外までの等級が格付けされる。こうした生育状況のほかにコメの出自、つまり銘柄のランク付けが1類から5類の間で行われ、等級と銘柄でコメの商品価値が決まる。こうして農協に集荷されたコメは検査後3コースに分かれて出荷されていくが、それぞれの流れを追ってみる。

[1.政府米]
 政府米は諮問機関である米価審査会の答申など所定の手続きを踏んだ上で値決めされ、政府が買い上げるコメを指す。
 各都道府県の農協に集められた政府米は、それぞれの地域に設置された2次集荷業者の経済連を経由し全国集荷の指定法人である全農に集められる。コメはその全農から政府に売り渡されるのが通常の売買である。その際、政府が買い上げる価格は全国均一であった。
 ただ1次集荷~2次集荷~全農~政府という一連の流れはあくまで伝票上の取引であり、その間コメそのものは倉庫から動くことがない。コメが倉庫を出るのは政府に買い上げられてからで、そのルートも2通りに分かれる。
 まずは倉庫から消費地に運ばれるコースで、政府が事前の計画に基づき消費地にある政府所有または政府指定の倉庫に一旦移される。次に政府と卸売業者など買い手との売買契約が成立するごとに今度は倉庫から卸売業者に運ばれる。他方のコメは農協の倉庫に残され、地元消費に回される。地元の卸売業者などと売買契約が成立してから動き出すものである。
 卸売業者に渡った政府米は精米され「標準価格米」として小売業者や外食産業に売られる。ここでようやく消費者に姿を見せるという構造だ。

[2.自主流通米]
 1969年(昭44)に導入された自主流通米制度は、食料事情の改善によるコメ余り、全量買い上げという政府の財政負担増という2つの問題解消が目的だった。
 政府米同様、コメ農家は1次集荷業者~2次集荷業者を経て全国集荷団体の指定法人(つまり全農)に販売を委託する。委託を受けた全農は政府を通さず直接卸売業者などに売り渡す。表からは政府を通過するかしないかの違いしか認識できないかもしれないが、実際は政府米と自主流通米の性質は大きく異なる。
 決定的な相違点は値決めで、政府米はコメ農家が出荷した時点で政府の買い上げ価格が明らかになっているのに対し、自主流通米は出荷時点で値段が決まっていない。コメ農家は全農・経済連に販売を委託した形になっていて、売り渡し価格や買い手はその後の交渉次第となってくる。
 とはいえ農協の倉庫に入る段階までは政府米と一緒で、自主流通米は検査を受けた後販売先が決まるまで倉庫で保管される。自主流通米の売買は入札と相対取引という2種類の手法があったが、入札は1990年の食管制度末期に導入された制度である。どこの自主流通米も売り手は全農と経済連、買い手は全国の卸売業者という構図で、入札においては国が公益法人「自主流通米価格形成機構」を新設した上で「自主流通米取引所」を東京と大阪に開設した。
 入札は年5回、産地や銘柄別に行われ、価格や買い手が決まっていった。だが自主流通米といっても結局政府の管理下にあるコメには違いなく、入札にも様々な規制が敷かれた。例えば入札量は各銘柄の25%まで、入札価格は過去3年の水準をもとに算定された基準価格から最大上下7%までに制限された。価格の乱高下を防ぐためであった。

(Futures Tribune 2021年8月26日発行・第3163号掲載)

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