幻の大型商品「野菜先物」、20年前横浜取が乗せた夢【上】

2024-09-30
野菜イメージ画

 最後の農産物大型商品といわれたコメ先物だが20年前の2004年、市場規模がコメの2.2兆円(当時)に匹敵する農産物商品が試験上場された。上場したのは今はなき横浜商品取引所で、商品は「野菜先物」である。これは特定品目の野菜ではなく、特に業務用、加工用に使用されることが多い主要14品目の平均価格を取引するもので、同価格は野菜全体の平均価格と相関性が高いことから野菜の指標価格といえた。巨大な市場規模に加えボラティリティも高く、経営難に喘ぐ横浜取にとって存廃をかけた起死回生の一手であった。今回、野菜先物を特集し振り返る。


 横浜商品取引所が野菜先物(野菜バスケット)の上場に向け動き出したのは、2004年(平成16)2月であった。野菜上場特別委員会を同月設置し、翌3月から7月にかけ4回の委員会会合および野菜の商品設計を行う2回の作業部会を開催した。
 委員会の報告書によると、2002年度における野菜の国内生産額は2兆2,000億円(※2021年度は約3兆円)で、これは国産米の2兆2,000億円、畜産の2兆5,000億円(※いずれも当時)に比肩する大型市場といえた。だが生鮮野菜は天候などの外的要因に左右されやすく、出荷量は極めて不安定な商品であり、生産者側は流動的な価格動向を傍観するしかなかった。
 一方でカット野菜業者や野菜納入業者といった加工業者も仕入れ価格は契約で固定されており、仕入れと販売価格との間に発生する価格差リスクは軽視できない状態であった。つまり、野菜バスケット先物はこうした当業者を最有力ヘッジャーとして商品設計されたのである。
 対象となる野菜は農水省による野菜価格安定制度の対象指定野菜からほうれん草と里いもを除き、ごぼうとかぼちゃを加えた計14品目(はくさい、キャベツ、ねぎ、レタス、きゅうり、なす、トマト、ピーマン、だいこん、にんじん、ばれいしょ、たまねぎ、ごぼう、かぼちゃ)が選定された。
 現物価格の算定対象市場は東京と大阪の両中央卸売市場とし、最終決済価格の算定対象期間は両市場の休日などを考慮し5日間とした。
 結果的に野菜先物は2004年12月20日に取引が開始された。取引の詳細などは次回以降に譲るが、野菜は横浜取にとって最後に残された切り札であった。2004年当時、全国には商品取引所が7カ所存在したが、横浜取は最も出来高枚数が少なかった。商品先物の出来高枚数が最多となった2003年、7取引所合計で年間1億5,400万枚を記録したが、トップの東京工業品取引所に8,720万枚と半分以上の出来高が集中した。次いで中部商品取引所が3,150万枚、東京穀物商品取引所が2,110万枚と続いたが、横浜取は年間180万枚と7取引所で最低枚数だった。前年の2002年も年間150万枚とやはり最低枚数で、取引シェアは全体の1%ほどしかなかった。
 こうした状況下で翌2005年には、①改正商品取引所法の施行による勧誘規制の強化(05年5月)、②商品先物委託手数料の自由化(05年1月)、③個人情報保護法の全面施行による名簿売買などの禁止(05年4月)と業界の営業方針を抜本から変えざるを得ない3本の荒波が一気に迫っていた。商品先物業者の警戒や戸惑いは当然大きかったが、ある種業者の業績に依拠せざるを得ない取引所経営も、特に地方の取引所はその将来性が危ぶまれていた。その筆頭格が横浜取であり、すでに定期昇給を廃止(04年2月)し成果主義による新たな人事制度を導入していた。それまで事業予算は切り詰めても人件費には手を付けないという、取引所の暗黙ルールが全国共通で機能していたが、横浜取の経営悪化がいよいよ危険水域に達したことで不文律が破られたのであった。
 野菜先物がダメならもう潰れるしかない、こうした悲壮な覚悟で同商品はテープカットされた。 

<続く>

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(Futures Tribune 2024年9月24日発行・第3313号掲載)
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