金先物市場が生まれた日【4】
2023-03-13社会党が質問主意書作成、金先物の可否を
金を巡るそれまでの経緯について、そもそもの発端は1980年当時、ブラック業者を撲滅するため国会でも頻繁に議論が繰り返されたが、一向に埒が明かず政府も手を焼いていたという背景がある。
その当時、商品先物業界に深い関心を寄せていた社会党の横山利秋衆議院議員が、全商連の蛎崎史郎吉専務と全協連の山口哲士専務を議員会館に呼び、「どうすれば金のブラック業者を退治できるのか」と問いかけた。ここからは会談に同席した木原大輔氏(防長新聞経済部長)の著書を参照する。
商品先物業界の両専務は「金を政令指定して金取引所を作るか、商取法八条でブラック業者を商取法違反で取り締まる以外にない」と回答した。これに対し横山議員は「自由主義の殿堂といわれる金取引所の設立に、イズムの異なる社会党が肩入れすることはできないが、ブラック退治は社会党の使命でもあり、ぜひこれを推進しよう」と身を乗り出し、「いい方法がある」と以下の提案をした。
それが質問主意書であり、議員が提出し議長の承認を経たら、内閣は7日以内に答弁しなければならないことになっており、主意書は全議員に配布されるため国会の場で議論するより効果が高く、かつ即効性があるというもので両氏も即座に賛成した。
質問主意書は党内部で検討・調整の末、1980年2月1日に社会党・松浦利尚衆議院議員名義で「金の先物取引に関する質問主意書」として大平正芳総理宛に提出した。
その答弁を作成するにあたり、内閣法制局が困惑していた様子が以下の点から伺える。ルール上は受け取った日から7日以内に答弁を出すことになっているが、これを1カ月と25日間延長して結局答弁は同年4月26日付での回答となった。
その概要は、「30年前の解釈(商品取引所法第八条の類似市場の開設の禁止規定はすべての商品に適用されるという解釈)を変更する」として、次に「第八条が適用されるのは商取法第二条第二項でいう『商品』(政令指定商品)に限定される」というものだった。
前文の「30年前の解釈」とは、1951年2月に、通産省企業局長が同法第八条の解釈について問い合わせた際に当時の内閣法務局が回答したもので、「同法第二条第二項に掲げる『商品』以外の商品についても、先物取引をする商品市場に類似する施設を開設することは、許されない」を指していた。
つまり、すべての商品に対し第八条は適用されるというのが従来の解釈であったが、新しい解釈では第八条の適用範囲は「すべての商品ではなく、第二条第二項で定める『政令指定商品』に限定される」と編集されたのであった。
安倍晋太郎政調会長が「金取引所を創設すべき」の爆弾発言、大騒動に
これにより第八条の旧解釈に基づく形で金ブラック業者の摘発を考えていた商品先物業界はお手上げの状態となった一方、前回解説した香港組を土台とする海外ブラック勢は、少なくとも法制上はホワイト扱いとなり、勢いづく結果となった。残された手段は、金を政令指定商品とするという以外になくなったのである。だがこうした状況下においても、政府は金取引所設立に向けた動きを示そうとはしなかった。
主な理由は商品先物業界に対する信頼の欠如であったといえる。実際、金取引所の設立には金地金商の強い反対があり、加えて大蔵省も反対の意を示していた。金は法制上すでにモノという扱いではあったが、世界の中央銀行間では金が実質的な支払いツールないしは決済手段として通貨的側面を有していた。
そのように重要なモノを商品先物業界に任せ、価格の形成を委ねることに関し行政側の躊躇があったことは間違いない。
金地金商もブラック業者撲滅に係る論議においては、「取引の事故防止と国民経済上のための金市場論議は別」との立場で、事項防止については「先物市場の設置よりも現物市場の整備が先決」という論陣を張っており、行政当局もこれを支援していた。
今では考えられないが、通産省は金先物市場の創設に対し反対姿勢を崩さず、大蔵省も通産所管であった金について強い反対姿勢をとっていた。
そもそも第八条の逆転解釈も、その過程で香港組の運動が深く潜行して行われたとする見方もある。国内商品先物業界同様、香港組も規模は小さいながら自主規制団体を設立し、官僚出身の常務理事も置いていた。さらに「国際化」という大義名分もあり、現実に香港政庁まで巻き込んでいるという実績もあった。
また香港組の動きはマレーシアのクアラルンプールなど、他のアジア市場に波及するなど影響も出始めていた。こうした観点でみると、行政側にとって金ブラックの存在を許してしまうというデメリットは確かにあるが、市場国際化の支持派は、主務省の中にも一定数存在していたのである。
1981年は金上場へ向けた動きが本格化する年だが、嚆矢というべき出来事は前年暮れの80年12月26日にあった。この日、サンケイホール(東京都千代田区)では木原大輔氏の著書「商品先物取引の基礎知識」の出版記念パーティーが行われ、挨拶に登壇した自民党の安倍晋太郎政調会長が「金取引所を創設すべき」との爆弾発言をし、降壇後に同じく自民党の斎藤栄三郎参議院議員と握手を交わしつつ金上場への陳情を同議員から受けている。
これをその場にいた産業新聞記者が翌日大見出しで報じ、大騒動に発展したところから、金上場運動が本格化したのであった。
(以下、続く)
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「安倍―斎藤ライン」で金取引所創設が現実味帯びる
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