商品先物業界団体変遷史【中】
委託者財産保護制度の充実

2023-11-16
現在商品先物業界3団体が入るビル

現在商品先物業界3団体が入るビル(東京都中央区日本橋)

共同事業特別会計導入、全協連の勢力増す

 1967年(昭和42)の改正商品取引所法施行で、商品先物に関する委託者財産の保全が規定され、72年2月、「商品取引受託債務補償組合」が設立された(後の商品取引受託債務補償基金協会)。この設立を直接手がけたのが全国商品取引員協会連合会(全協連)である。また全協連は取引員従事者の待遇向上のため74年6月、「全国商品取引業厚生年金基金」(加入者減少により後に解散)も新設した。加えて後に取引員の健康保険組合も発足させたが、これらが可能になった要因は共同事業特別会計を導入したことによる。
 同会計は取引員が商品先物市場を通じた取引売買1枚ごとに全協連に一定額を納めるもので、現在も商品先物業界の取引所及び各団体はこれを主な収入源としている。まとまった資金をプールし業界全体のために使用するという目的に沿って上記の新制度を打ち出した。こうして徐々に商品先物業界の中で力をつけてきた全協連に対し、それまで歯牙にもかけなかった主務省(今の農水省、経産省)も相談を持ち込んだりするようになった。
 この時期、取引員各社が取引所に預託していた責任準備金が返戻されることになった。分割すると1社あたりの金額が僅かであったことから、これを全国商品取引所の横断的な団体であった全国商品取引所連合会に任せて広報活動を一任したが、全商連は社団法人で主務省の管轄下にあり、制約も厳しく期待通りには機能せず、結局これも全協連が請け負うことになった。


業界規模拡大で制度一新、補償基金から保護基金へ

 75年の改正商取法施行で、預り証拠金の完全分離保管制度と、委託者債権の確保を目的とする指定弁済機関制度が盛り込まれた。67年の改正法で規定された分離保管制度は「完全分離保管」ではなく、取引員が倒産した場合に委託者債権額の30%程度しか補償されないという状況だった。それまで10分の6でよかった流動部分の預託率を10分の10、つまり満額の預託を課したのである。
 だが満額預託では、取引員は有価証券の値洗いに多額の立て替えが生じてしまうことから、代位弁済機関を設置し会員に対しては流動部分の分離保管を10分の5と定めた。この弁済機関が補償基金協会である。
 76年末時点で、商品取引所は北海道から九州まで18カ所あり、全協連会長はカネツ商事の清水正紀会長、専務は山口哲士氏が務めていた。
 ただ、これ以降商品先物業界が年を追って拡大し、補償基金だけでは不十分となったため、2004年の法改正で制度を一新した。それは先物取引に係る証拠金全額を取引所や清算機関に預託し、一般委託者債権の補償を新設の団体に引き継がせることとした。つまり、補償基金協会を廃止とし、新たに日本商品委託者保護基金を立ち上げたのであった。

(次回へ続く)

(Futures Tribune 2017年6月発行・第2789号~2792号掲載記事に加筆修正)

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