商品先物業界団体変遷史【下】
規制団体と振興団体の分割

2023-11-17
現在商品先物業界3団体が入るビル

現在商品先物業界3団体が入るビル(東京都中央区日本橋)

アウト型クリアリングハウス設置の機運高まる

 2004年(平成16)、国内には商品取引所が7カ所あった。仮に7カ所すべてと取引する場合、取引員(現・商品先物取引業者)の決済口座は自己と委託を合わせると14口座が必要だった。これは各取引所が清算・担保業務を行う「インハウス型」と呼ばれた仕組みで、先物市場においても国際化の進展で競争力が増す中、複数あった取引所の口座を1つにまとめて資金力を強化しようとする動きが高まった。
 目的は海外投資家誘致を主軸においたもので、それまで複数の口座を管理していた取引員にとっても、決済口座が一元化されるメリットは大きかった。例えば、ネット決済で損口座と益口座間の振り替えで発生する一時的な立て替えが不要になり資金効率が大幅に上がる。また、証拠金や値洗い損益金でも委託者ごとにプール計算の継続が可能になり、投資家にとっても資金効率が図れるほか、重要有価証券の効率運用、取引員の事務作業簡素化・合理化においても効果が期待された。
 一方、アウト型を導入する場合、取引員の数が多いと清算・担保業務が増えて煩雑になり、逆にデメリットが大きい。米国ではクリアリングメンバー(清算会員)を資金力が豊富な大手に限定し、小口参加者はノンクリアリングメンバー(非清算会員)として清算会員に取引の担保を依頼する形をとっていた。
 つまり主務省はインハウス型時代の“参加者は皆平等”の体制から米国式への転換を図ったわけである。


日本商品清算機構(JCCH)の誕生と全商連の解散

 全国商品取引所連合会(全商連)が共同計算センターに清算機能を持たせたアウト型クリアリングハウスを設置する方針を固めたのは、04年6月頃だった。これには①計算センターの業務円滑のためには清算機能を兼備が必要という主務省見解、②改正法案の国会審議で横断的な清算機能設置を指導するという方針、③日本商品先物取引協会からアウト型設置の要請―という3つの要因が発端となった。
 同年12月、清算業務を行う新会社の発起人会が開催された。新会社「日本商品清算機構(JCCH)」の株主総会・役員会で社長に南学政明・東京工業品取引所理事長、副社長に森實孝郎・東京穀物商品取引所理事長が選任された。業務開始は翌年5月と決まった。
 資本金は5億円(東工取・東穀取各1.5億円、中部大阪商品取引所0.75億円、大阪商品取引所0.5億円、関西商品取引所・福岡商品取引所・横浜商品取引所各0.25億円)で、その後速やかに1億円増資するとして、これは先物協会が引き受けた。予算規模は年間3億円としたが、これは年間出来高を1億5,000万枚、1枚当たり片道1円という極めて強気の計算によるものである。
 また預り証拠金は約2,000億円で、清算手数料は清算参加者が取引所及び全商連経由で徴収し、取引所は会費の中から支出するとした。
 これにより海外投資家にとってみればJCCHが債権債務の相手方となることで、市場参入リスクの算出相手が清算会社のみとなるため、市場の信頼性が向上するという狙いだった。だが仕組みそのものは確かに問題なかったが、国内商品先物市場は以後数年間で出来高が急減し、取引員の廃業も加速度的に増したことで取引所自体が経営難となり、吸収合併が続いた。
 結果的に2013年2月、国内商品取引所は「東京商品取引所」、「関西商品取引所(現・堂島取引所)」の東西2取引所体制となり、JCCHも東京商品取引所の完全子会社となったことで、決算上も連結対象のため事実上のインハウス型に逆戻りしたといえる。もっとも東商取もその後経営難に陥り、国策である総合取引所創設の流れを受け19年11月に日本取引所グループ(JPX)の完全子会社となったことでグループ内で清算機関を一元化させるため、20年7月にJCCHは日本証券クリアリング機構(JSCC)に吸収された。
 なお、これら一連の流れに沿った取引所の減少を受け、全国の商品取引所を束ねる役割を果たしてきた全商連も必要性が薄れ、08年3月に解散した。社団法人となってから41年になろうとしていた。


日本商品取引員協会発足も、不要論高まる

 1991年4月、全国商品取引員協会連合会(全協連)が解散し、翌5月から法的自主規制団体の日本商品取引員協会が発足した。年間経費約15億円は取引員が負担した。だが、日が進むにつれ取引員からは不満の声が高まっていった。
 当時の報道(本紙)によると、「天下りの副会長専務理事、理事等が業界活性化に無関心。逆に規制強化に力点を置いてくる。これでは取引員が亡び団体のみが残ることになりかねない」、「協会は第二主務省を気取っている」などなど、不要論が上がっていた。
 一方で、日本商品先物振興協会が発足したのは99年4月だった。もともとは初代日商協が規制業務と振興業務を兼ねていたが、規制と振興というある意味で相反するベクトルを1つの団体で包括することは無理があり、対外的にもイメージが悪いという意見が業界内に広がったことで、規制部門と振興部門をそれぞれ独立させた。
 結果、規制部門は「日本商品先物取引協会」、振興部門は「日本商品先物振興協会」と名を変えた。その際、先物協会は事務所移転までして、住所を別にするほど徹底した。
 だが年々取引量が右肩下がりとなり業者数も激減して土台が細った商品先物業界では、その上に立つ業界団体も縮小を余儀なくされた。各団体とも人員を減らし、事務所経費を抑えるため移転した。
 一時期は東京穀物商品取引所内に集結し、同取引所が廃業した後は東京商品取引所内に揃って移動した。今回東商取ビルの売却を受け、業界3団体は22年10月、近隣の商業ビルに移転し現在に至っている。

「日本商品先物取引協会(及び日本商品先物振興協会)」
 住所 〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町一丁目1番11号 日庄ビル6階
 電話番号 03-3664-4731(代表)
「日本商品委託者保護基金」
 住所 上記ビル3階
(Futures Tribune 2017年6月発行・第2789号~2792号掲載記事に加筆修正)

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