幻の救世主・商品ファンド物語【4】
日本上陸前に国内商品先物業界が商品ファンドを研究
2023-07-05 1990年当時、商品ファンドは広く出資を募る公募形態ではなく、少数の出資者から大口の資金を集めて運用するいわゆる私募型であった。理由は出資法で、100人以上に販売すると同法に抵触するため、1ファンドの最大組成額は1口1億円として100億円が限界だったのである。ところがこれだと個人にはほとんど売れず、出資者はほぼ組成元の取引先企業に限られた。当然、個人投資家を主な顧客とする商品先物会社の参入もほとんどなく、商品ファンドの中心的存在となるのは小口化販売が実現した後の話である。
とはいえ、商品先物業界が商品ファンドに着目した時期は早く、日本へ上陸する1988年以前から海外の動向に目を光らせていたのである。その嚆矢は1983年(昭和58)、全国商品取引員協会連合会(全協連)が立ち上げた「商品開発等研究会Aグループ」で、これは商品ファンドの研究会であった。商品先物業者5社と全協連事務局1人の計6人で組成され、半年で「米国商品取引員の実態とわが国へのファンド導入の可能性と問題点」と題するレポートをまとめている。その中で「法的な手当てなくしては商品ファンド導入は難しい」と指摘していたが、これが前述の出資法などに係っている。なおこのレポートは非公開扱いとされたが、理由は不明である。
その後日本ではバブルが崩壊し、米国の商品ファンドが隆盛を極める状況に、総合商社や将来に危機感を持ったリース会社が飛びついた格好となる。ここで注目すべきは主務省も商品ファンドに着目したことで、「商品投資の入門版」と位置づけ、まずは商品ファンドで先物取引の知識を身につければ無用のトラブル防止に効果があると判断した。この視点は非情に慧眼で、もしアメリカ同様に日本でも商品ファンドが広まっていたら、現在に至っても根強く残る日本人の先物アレルギーは、相当軽減されただろう。
(以下、次号へ続く)
(Futures Tribune 2023年7月4日発行・第3225号掲載)
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