リーマン・ショックから15年、業界の2008年を振り返る
上場9社全社赤字・13業者撤退、市場衰退化が顕著に
2023-10-05米証券大手のリーマン・ブラザーズが経営破綻したのは2008年(平成20)9月だった。これに端を発した世界的な金融危機は「リーマン・ショック」と呼ばれ、世界同時株安の状態に陥った。当然影響は日本にも及び、翌09年3月10日の日経平均株価は7,054円98銭とバブル崩壊後の最安値となった。リーマンショック後15年が経過したが、国内の商品先物業界にとっても08年は年初来4カ月連続で出来高が下降線を辿るなど厳しい状況で、商品先物業者の廃業、または受託業務廃止が13社を数えた。本号では業界の市場衰退化がもっとも進んだ08年を振り返ってみたい。
市場縮小化が顕著に、出来高は5年で半減
2008年は商品先物関係者にとって市場の縮小を最も痛感させられた1年と言って間違いないだろう。すでに07年12月には出来高が10年ぶりに500万枚割れとなり、1月には591万枚まで盛り返したが、その後4カ月連続で減り続け5月は393万枚と、金も100万枚に届かなかった。
結局08年の年間出来高は5,291万枚で前年比28.0%減、5年連続で前年割れしている。5年前の03年は年間出来高が1億5,410万枚とピークを迎えた年だったが、わずか5年で半減以下まで落ち込む結果となっている。
当時国内の商品取引所は在京の東京工業品取引所(現東商取)、東京穀物商品取引所、地方では名古屋に中部大阪商品取引所、大阪に関西商品取引所(現堂島取)と4カ所あったが、出来高のシェアは東工取77%、東穀取16%、中大取6%、関西取1%とすでに東工取の独り勝ち状態だった。しかも08年の年間出来高では東穀取が前年比6割減、中大取は半減とはっきり凋落傾向が表れていた。
そんな中で同年新事務所を建築した中大取の対応は、今もって謎である。会員からは当然反対意見も多かったが、地上4階建てビルをオフィス街に新築し、3月に落成式を行った。当時の木村文彦理事長への取材では「東海・東南海巨大地震の警戒地域で取引所機能を担保するため」を理由に挙げたが、間もなく経営難に陥り10年1月外食チェーンに売却している。結局自前の新築物件も2年足らずでの退去となった。
出来高の減少で取引所の経営も悪化していたが、そんな中で東工取が08年12月に組織を株式会社化した。国内初の株式会社商品取引所で、初代社長には南学政明氏(故人)が就任し、経産省の望月晴文事務次官は「株式会社化で経営の基礎を強固にし弾力性、自主性が強化される」との見解を述べている。南学氏は株式会社としてのスタートを「嵐の中の船出」と表現した。
取引所が嵐なら当時の商品業者は氷河期に直面したようなもので、決算数値にもはっきり表れている。08年の商先上場会社は9社あったが、09年3月期決算では全社が減収、経常赤字、最終赤字と惨憺たる結果に終わっている。
これを平均で見ると、営業収益は46億4,100万円(前年同期比31.0%減)、手数料収入34億6,900万円(同36.0%減)、経常赤字額13億2,000万円、最終赤字額17億5,300万円と、先の見通しが立たないほどダメージは広がっていた。
04年の法改正、方向性の急転換で規制大幅強化
そもそも国内商品先物市場の低迷は08年に始まったことではなく、流動性の大幅な低下は05年5月に施行された改正商品取引所法での勧誘行為規制の強化から始まったというのが業界の共通認識で、事実を追えばその通りと言えるだろう。同法は旧法文のほぼ全文が書き換えられたほどの大幅な改正だった。
ただ、法改正に関してみると当初の予定では取引員の許可更新が延長されたことから財務などの資格要件、委託者保護制度の充実・強化、クリアリングハウスの整備などの制度変更にとどまる予定だった。これは経産省担当課長から日本商品先物振興協会幹部に伝えられていた。
ところが改正案の国会審議において方向性が急転する事態となった。審議は04年4月に開かれた第159回国会衆議院経済産業委員会において行われ、委員から商品先物取引に関連したトラブルの多さに意見が集中したのである。トラブルの要因、その対応について鋭く執拗な質問が繰り返された。トラブルの最大要因は不適切な勧誘によるもので、高齢者や主婦の被害者が急増し社会問題化していただけに、そうした勧誘に規制を求める意見が相次いだ。
これらの意見に対し当時の坂本剛二経産副大臣は「不適切な勧誘によるトラブルは大変増えており、その勧誘規制の強化を今回の改正で図った」とし、その内容について「不適当と認められる勧誘を行ってはならない適合性原則、その法律上の義務を明記した」と法改正におけるトラブル対策の方向を示している。さらにその上で「規制の実効を確保するために、運用ガイドラインを策定・公表し、それに基づいて厳正な執行を行う」ことを約束している。
このガイドラインの中で委員から問題となる再勧誘禁止、迷惑勧誘禁止などの中身を尋ねられ、経産省の青木宏道大臣官房商務流通審議官が「再勧誘禁止の運用ガイドラインは、顧客に対するアプローチから勧誘段階のそれぞれの進展について、できるだけ具体的に遵守すべき事項を明らかにしていきたい」と回答した。具体的には、①冒頭で商品先物取引の勧誘であることを明言すること、②断られた際の再勧誘禁止、③リスクや取引の仕組みなどに対する説明義務を盛り込むこと―などを述べている。
こうしたやり取りが4月に行われた4回の衆院委員会から参院などでも再燃し、結果として勧誘時の行為規制の強化を法制化せざるを得なかったという流れがある。
その改正商取法に基づいて主務省ガイドラインが示され、これに沿って自主規制機関である日本商品先物取引協会での「箸の上げ下ろしまで指示するという行き過ぎた規制」が形作られた。
では業界の認識はどうだったか。実は国会審議の過程で業界側には微に入り際に渡る行為規制になるという認識は薄かった。日商協ガイドラインの作成段階に至っても、それらの規制が大幅な流動性低下を招くという認識は薄かったようだ。改正法施行後に出来高減、収益減、経営の脆弱化で「ここまで悪化するとは思わなかった」と慨嘆した取引員経営者が多く、最重要懸念事項として捉えていなかったことが伺える。
市場衰退の危機、政官と業界で認識のずれが
08年当時、業界は政界への対応として自民党有志との間で「先物研究会」と称する会合を継続していた。自民党との研究会は同年3月25日に行われ、出席者は閣僚経験者を含む5議員で、業界側からは先物協会、日商協、取引所などの幹部が10人という構成だった。
一方民主党ともこの年初めて自民同様の研究会を設置し、5月15日に初会合を行っている。その後農水・経産両主務省とは6月3日に意見交換会が持たれた。
もっとも政界との会合では現状について若干触れる程度で顔つなぎの懇親的な域にとどまった模様で、流動性の長期低迷に対する強い改善要請は行わなかったようだ。
一方主務省との会合では、日商協の荒井史男会長が「行為規制のある程度の緩和が必要ではないか」と発言したところ、経産省の小山智商務課長が「自主規制団体の日商協はトラブル解消のため、コンプライアンスの徹底を目指すもの。それが本来の業務を棚上げしたような規制緩和の発言をするとは何たる事か」と怒りを顕にし、場の雰囲気が気まずくなるという一幕があった。その時業界幹部が「業界としては著しい流動性低下を招いている現状を打開するには規制の緩和が必要と認識している。そうした規制緩和を自主規制団体の日商協に理解していただき、その上で主務省に要望したいと考えている。後先が逆になったが、荒井会長の発言は業界の実状に理解を示すものだ」と釈明し、小山課長も「そういうことなら理解できる」とその場は収まった。
結局一連のやり取りで垣間見えたことは、衰弱化を辿る商品先物市場に対し政官ともに危機感を共有できていなかったという事実である。
実際、08年10月には日本商品清算機構(JCCH)が清算手数料を1枚当り2円引き上げた。これは同年取りまとめが行われた「クリアリング機能の強化に関する研究会」の報告に基づく措置で、経営基盤の確立と信用力の強化を図るため財務基盤を強固にする狙いがあった。JCCHを海外のクリアリングハウスと同水準まで底上げすることで海外からの市場参加者を取り込めるというのが、主務省が描いたシナリオであった。
「苦しいのは理解しているが、信頼性の向上と国際的に遜色のない市場を早急に構築しないと中国をはじめ海外の市場に大きな遅れをとることになる」(小山課長)が経産省のスタンスだったが、こうしたやり方について行けず同年だけで13社が商品先物市場から撤退していった。
あれから15年が経過したが、根本的な問題点は未だに解決できていない。
(Futures Tribune 2023年10月3日発行・第3243号掲載)
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