金先物市場が生まれた日【1】

2023-02-17
1980年3月4日発行、本紙第399号

写真:1980年3月4日発行、本紙第399号

 1982年3月23日、日本初の金公設先物市場がスタートした。東京商品取引所の前身である東京金取引所が開設した金先物市場の初日出来高は1,026枚と緩やかな出だしであったが、業界の悲願であった大型商品である金に対しては主務省も業者も、まず取引量よりもトラブル回避を第一義に据える姿勢で臨んだ。
 東京金の上場は海外からも注目を集めていたが、「東京で金先物ができると世界の主要国において24時間体制で常時ヘッジ可能になる」という理由があった。当然取扱業者への要求水準は高く、市場開設直前の3月17日に通産省(現・経産省)が許可したのは40社(商品取引員30社、商社8社、現物当業者2社)だった。
 その後、金は商品先物市場の看板商品として出来高を増やし、標準取引をミニ化した「金ミニ」、FX投資家になじみが深い商品設計とした無限月の「ゴールドスポット」など派生商品も誕生した。また、堂島取引所も3月27日から金先物を上場する。
 総合取引所への移行に伴い、現在金は大阪取引所で取引されているが、金市場への信頼性は商品先物業界の努力が結実した成果といえる。当連載では金先物について上場経緯などを特集する。


国内初の金取引市場が発足、ブラック業者乱立で問題視

 金先物市場創設への経緯に入る前に、日本国内における金取引自由化までの流れをまとめると、1953年8月、政府の金政策が方針転換し金管理法の一部が改正され、国内新産金の一部(後に全部)の民間放出が認められた。
 20年後の1973年4月に金の輸入が自由化され、1978年には輸出の自由化も導入されたことで、金取引の完全自由化が実現した。金先物はこの4年後に開設されることになるが、背景には私設の金市場による個人の被害が多発し、社会問題となっていたことが大きい。
 輸入自由化後、最初にできた金市場は1974年3月に開設した「株式会社日本金市場」で、場所は東京都中央区日本橋茅場町にあった。全国の宝飾店や時計店など貴金属を取り扱う190社が会員となり、客から受けた金現物の買い注文を市場に出し、大手商社が輸入した金地金を販売する形で運営された。
 商品先物業界では「やがて金の公設市場ができる日も近い」とみた一部の業者が、当業者実績を作る目的で日本金市場に参入し始めたが、この段階では健全な市場運営がなされていた。
 ところが株式会社である日本金市場が開設直後から利益を上げ始めたことで、市場運営の旨味を知った会員により市場の細胞分裂が始まる。このあたりの経緯は現代の仮想通貨に通じるものがあるが、市場会員以外の金に無関係な業者も見様見真似で同類の私設市場を立ち上げ、金市場の乱立が進んだ。
 こうした金の私設市場は「ブラック・マーケット」、「ブラック市場」とも呼ばれ、トラブルの火種となり商品先物業者が白眼視されたりしたが、強調しておきたいのは日本金市場に参加した業者はほぼすべてが細胞分裂に加担せず原初の市場に残留したという事実である。
 詐欺まがいのブラック市場を開設したのは商品先物業者の中でも法律で定められた資格水準に達せずドロップアウトした層で、当時先物取引に係る法制が皆無だった香港に渡り日本小豆の先物まがいという悪徳商法で国際トラブルを頻発させていた。
 これら海外組が金ブラック市場の旨味に対し敏感に反応し、日本の私設市場へ濁流し始めた。こうした動きにより1970年代の半ばから後半にかけ金取引に対するトラブルが激増し、メディアなどで金のブラック市場が叩かれまくったばかりか、司直の手を煩わせ国会でも問題視されていた。
 1980年8月、香港商品取引所で金が上場されたことで、日本のブラック市場は下火となり、ブラック業者は香港の金先物取扱業者へと鞍替えした。
 ただこれらブラック業者が商品先物業界に残した傷跡は根深く、主務省の認可を受けた正規の業者がブラックと同一視され、「先物=悪」という世間のイメージを助長する結果を生んだ。


商品先物業界が金の延べ取引市場創設、金先物市場をその先に

 散々市場を掻きまわした金ブラック業者の暗躍を、商品先物業界はただ見ていただけではなかった。日本金市場が創設された翌年の1975年3月、自助的に金の取引市場を形成する。これは金の延べ取引(Forward)市場で、委託玉を取らず金取引の実績を作るための仲間市場であった。
 前述の日本金市場は「全国貴金属取引協会」が設立母体であったのに対し、延べ取引の金市場は「日本貴金属取引協会」と称した。この段階で商品先物業界としては、延べ取引市場の延長線上に「金取引所の設立」をみていたといっていい。
 主務省の通産省も延べ取引市場に対してはやや柔軟な姿勢を示したことで、正規の商品先物業者は1977年4月以降、金の取扱いを延べ取引市場に集約させ、すべての金私設市場から撤退した。
 金先物市場の実現を目指して本格的に動き始めた商品先物業界であったが、後年金取引所の開設に当たり追い風となるはずだった延べ取引市場も、実際はまったく評価されることがなかった。

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通産省が方針転換、国際化見据え商品先物拡大政策

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