先物市場、明治から昭和初期までの動乱【上】

2024-07-10

相場会所から取引所へ

 1874年(明治7)10月13日の株式取引条例の中に、日本で初めて「取引所」という言葉が公に用いられた。
 徳川中期(1640~50年頃)から始まった堂島における米穀の先物取引市場は「相場会所」とか「米商会所」という言葉で呼ばれていた。
 それを明治新政府は、同条例によって取引所制度を法制化し、証券資本主義の発達に備えたわけである。
 もとより、商品市場の法制化も意図したのであり、商品流通機構の組織化を促進しようとしたのであった。
 事実、同年12月27日、米油限月売買を禁止(太政官布告第138号)、代わりに翌1875年(同8)5月28日「米穀相場会社創立準則」(いわゆる米商会所準則のこと)を大蔵省布達第16号をもって発布したのである。相場取引は「株式取引条例の方法に倣い、会社規則を取調(ととのえ)、その管轄庁を経て大蔵省へ願い出で、許可を受く可き」とする布告である。
 この株式取引条例は、当時のロンドン株式取引所の規則を基本として作成したものといわれるだけに、取引員の資格や身元保証金、また売買証拠金制度など、すべてがあまりにも理想的過ぎて、ようやく資本主義が始まったばかりの日本にとっては、いかにも厳しすぎた。
 このため、折角の株式取引条例も米商会所準則も、ともに機能せず、改めて検討せざるを得ない事態になったのである。その間、米と油の定期(先物)取引は、依然旧慣にしたがって続けられていた。
 そこで明治政府は、同年末に、米価政策実行の手段として「貯蓄米条例」を制定することとなった。
 これは貢納米や買上げ米を、常に東京に10万石、大阪に5万石貯蓄し、適当に売買することによって、米価の高騰や下落を防止して米価の平準化を行おうとしたものだ。要するに明治政府自体が米穀取引所の機関となり、巨大な商人となったのである。 貯蓄米条例に基づく米価の調節は、案外に好評だったとされている(その証拠に、政府は1878年(同11)「常平局」を開設して、さらに政策を拡大推進している)。
 一方、その間にも米穀取引所に関する検討が種々、加えられていった。骨子は「これまでの先物取引の慣習を尊重し、同時に不備な点を改正する」点にあった。
 そして、制定されたのが、1876年(同9)8月の「米商会所条例」である。悪評だらけであった株式取引条例と米穀相場会社創立準則はもちろん廃止となった。
 新しい米商会所条例は、享保以来の堂島米会所における商慣習や制度を基本路線として制定されたものであったが、従来にない何よりも重要な特色は、商品資本主義の発達に備え、取引所を株式会社組織とした点にあった。
 実際のところ同年9月、大阪に堂島米商会所、東京に兜町の東京商社、蛎殻町に中外商業社の3取引所が設立されたのを筆頭に、大津、下関が、また1877年(同10)に兵庫、桑名、新潟、金沢、名古屋、1879年(同12)に京都と、全国各地に続々と取引所が設立されていった。


インフレ経済と先物取引復活

 このような経過によって「商品取引所」と「証券取引所」設立の基礎は固まった。
 ところが、1877年(同10)の2月に西南戦争が勃発、政府は軍費調達の必要と戦後の収拾策から、不換紙幣を濫発したため、異常なインフレーションがまき起り、物価は高騰した。米穀や株式相場が投機過熱から異常に暴騰したのはいうまでもない。米価は1880年(同13)4月、13円33銭と前年平均値7円17銭の約2倍に達したのである。このため先物取引は弊害であるとし、政府は同月全国的に「定期米売買取引の停止」命令を発して米商会所条例の一部改正を断行したのである。
 政府は同年10月に米商会所における定期取引の禁止を解き、翌年に「農商務省」を設置、取引所の所管を大蔵省から農商務省に移した。
 そして1882年(同15)5月、米商会所条例の一部を改正、取引所違約賠償責任と仲買人納税規則の布告を行った。
 さらに、1887年(同20)5月、政府は勅令第11号による商品取引所と、証券取引所に関する綜合的な法令である「取引所条例」(いわゆるブールス条例)を制定するに至ったのである。
 これは、株式会社組織の取引所を根本から改めて、「会員組織」による取引所運営とし、売買仕法も、実物取引一本に限定するものであった。
 ところが同条例は、信用経済の最たるものである先物取引を廃して、実物取引一本にし、取引所を実物市場化しようとしたため、民間の反対は凄かった。そればかりか、先物取引である旧取引所の営業延期許可運動も盛んに起こり、ついに政府は官吏を海外に派遣、各国の取引所制度を調査させることになったのであった。

(Futures Tribune 2019年12月10日発行・第2970号掲載)

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