国民の不足農地600万ヘクタール、九州プラス四国以上~山下一仁氏が講演【中】

2024-10-31

農業の成長は大規模化、柳田國男が唱えた「中農養成政策」

 戦後日本では地主制が解体されましたが、国連が「小農主義」(=小農は貧しいため保護が必要だとする主張)を推進しているというウソをいう人が今でもたくさんいます。小農主義というのは、実際は地主階級を擁護する主張です。
 地主の収入は小作料ですが、これは水田の収穫物、つまりコメについて収穫量の半分程度を小作料として受け取っていたわけです。従って小作人が多いほど手間をかけた農業が可能になるため全体の収量は上がり、地主の実入りが増えたわけです。
 この小農主義に対し柳田國男(民俗学者、1875~1962)は逆の立場をとっています。小作人が増えるほど1人あたりの耕作面積が減り、ひいては収入が減少するので小農主義を批判します。農家を貧困から救うためには他産業への移動を推進し、農家戸数を減少させて農家当たりの耕地面積を拡大するしかないという「中農養成政策」を唱えました。また柳田は兼業農家にも反対の主張をあげます。農業を生計費の一部として補充する立場では農事の改良を成し遂げようとする意欲が鈍るため、兼業農家が多数を占めるのは国の病だとまで言っています。
 この柳田の主張に真っ向から反対したのが横井時敬(農学者、1860~1927)で、彼の主張は明治末期に一世を風靡しました。地主階級のために小農や小作人の数を維持しようとする主張の内容はかなり過激です。具体的には農村に生まれた若者が都会に憧れて上京する人口移動は好ましくないとするもので、「都会が良いものだと教育する教員は、農業が嫌で教育業に転じた謀反人であり、地元の若者が都会に出ていかないように小作人には低度の教育しか与えない方がよい」などと訴えました。
 当時の横井は農業界の大ボスだったわけです。これに反論するのは考えられないことだったわけですが、柳田は若者が都心や海外に出ていくのは、土地が狭くて農業では生活できないからで、「横井先生の所謂都会熱病の為のみに非ず、其病原を探らずして一切彼等が無節操に由るかの如く罵倒するものあらば、極めて思ひ遣りの無き人と言はざるべからず」と横井理論を批判しました


台湾有事による食料輸送停滞、日本で多数餓死者の悪夢

図1

 今、日本は農地を減らしています。一方で世界の農地面積は1961年から6%増加し、特にブラジルと中国は1.5倍超の増加率です。フランスは17%減少しましたが、これを単収の増加で補いました。ところが日本は減反で農地面積、水田面積を減らすと同時に単収も抑制したわけです(図1参照)。
 日本は様々な交渉において最も食料安全保障を主張する国です。そんな国が1961年比で38%減と最も農地シェアを減らし、しかも単収まで抑制しました。このままでは台湾有事などで物資の輸送が滞る状況になった場合、日本の農業は機能しません。石油がないと農業機械も動かず、肥料原料の輸入がないと農業も立ち行かなくなってしまうのです。
 終戦時、日本の農地は600万ヘクタールしかありませんでしたが人口は7,500万人でした。現在は1億2,500万人いるわけですから、当時の単収で計算しても1,050万ヘクタールの農地が必要になってきます。ところが今は430万ヘクタールしかなく、600万ヘクタールを超える農地をどこかで調達しなければなりませんが、これは九州と四国を合計した面積よりも大きいのです。つまり不可能なのです。
 従って今シーレーンが破壊されたら日本は多数の餓死者が発生します。半年間も持たないでしょう。大変残念な状況です。
 食料安全保障には2つの要素、言い換えれば食料危機には2つのパターンがあるといえます。まず「経済的なアクセス」ができない、お金がないから買えない、例えばレバノン、サブサハラではロシアのウクライナ侵攻が原因でパンの値段が3倍になりました。普段でも民間人の収入の半分が食料に費やされる地域ですから、収入を全額使っても買えないわけです。このため飢饉が発生しました。
 一方でパレスチナのガザ地区では、お金はあるがシーレーンが破壊され食料が入らないから行き渡らず、結局飢餓が発生しました。日本も東日本大震災で同様の状態に陥りましたが、これらは「物理的なアクセス」ができない状況となります。ところが先進国でもアメリカ、EU、カナダ、オーストラリアではこうした問題は起こりません。理由は自国の生産量が充分にあるからです。


「人口増加で食料危機」のウソ、経済指標が示す真の実態

図2

 人口増加で食料危機が起こるという話はよくいわれています。私は国連食糧農業機関(FAO)の誰かが作ったウソだと思います。
 グラフ(図2参照)は穀物の物価変動を除いた実質価格の直近100年くらいの推移で、アメリカの農務省が作ったデータです。なぜか私が作るグラフは右肩下がりが多いのですが、このグラフもそうなっています。つまり穀物価格は下がっているわけです。人口増加で食料危機が訪れるという前提が正しければ、現時点で穀物価格は上がっているはずなのです。でも上がっていない。その理由は人口増加以上に穀物生産量が増加しているからです。
 世界の人口は1961年比でおよそ2.5倍に増えていますが、コメの生産量および小麦の生産量はともに3.5倍に拡大しています。人口の伸びをはるかに上回る形で穀物生産量が増えたということです。
 2008年に開催された洞爺湖サミットでは、食料安全保障がテーマでした。当時は穀物の価格が上がっていましたが、アメリカがトウモロコシをエタノール向けの使う割合が増えたことで、トウモロコシのほか小麦、大豆、コメも値段が上がりました。最も上がったのはコメでしたが、この時日本の消費者物価指数はどうなったのか。もし食料危機に瀕していたら、穀物価格が3~4倍に上昇した影響で日本の指数は相当上がっていたはずですが、結果的に日本の食料品に限った消費者物価指数は2.6%しか上がっていないのです。
 我々日本人は飲食費においてどの部分にお金を払っているのか、実は85%が加工、流通、外食に対する支払いなのです(2015年農水省資料より)。農水産物への支払いは15%です。内訳は国産が13%で9.6兆円、輸入農産物にはわずか2%の1.6兆円しか消費していないのです。つまり輸入品2%の中にあるトウモロコシや大豆の価格が3~4倍に上がったとしても全体にはほとんど影響がないわけです。この傾向は日本だけでなく、先進国はすべて該当します。アメリカ、オーストラリア、EUでもそうですが、穀物価格が上がっても食料の価格に及ぼす影響は小さいため暴動が起こらないわけです。
 ところが農水省は日本が穀物に対し買い負けると危機を煽り、食料・農業・農村基本法を見直すきっかけにしたのです。
 日本の輸入額全体に占める穀物の割合は1%から1.6%の間なのです。例え5倍、10倍に穀物い価格が値上がりしたところで、日本が買い負けることはまったくありません。小麦の輸入量上位3カ国はインドネシア、エジプト、トルコです。買い負けることはあり得ません。


穀物輸出制限は国益の棄損、アメリカの失敗例

図3

 ここから視点を変えて海外穀物の話をします。表(図3)の中のオーストラリア、アメリカ、カナダは日本が小麦を輸入している国です。輸出額と輸入額の比に注目してください。
 3カ国の生産額の60~80%程度を輸出に回しています。こうした国が輸出制限をすることはありません。理由は輸出を制限するとその分が国内に溢れてしまい価格が暴落するからです。大変な農業不況が起こるわです。
 とはいえ、アメリカは輸出制限した過去が2回あります。1回は1973年で、この年は大豆の輸出制限をしました。理由はペルー沖のアンチョビが不漁になったからです。アンチョビを当時のアメリカは豚の餌にしていましたが、不漁で品薄になり大豆を豚の餌に充てたのです。
 ところが大豆の輸出制限によりアメリカの輸出大豆を独占していた日本は困った事態になります。仕方なくアメリカに代わる大豆の調達国を探し、ブラジルに照準を当てました。アマゾンの下にセラードと呼ばれる未開発地域がありましたが、ここを農地改良したのです。その後見る見るうちにブラジルの大豆生産量は増加し、アメリカを遥かに凌ぐ大豆の輸出国になりました。結果的にアメリカは大失敗したわけです。たった2カ月間の輸出制限を行わなければ、ブラジルは眠れる獅子のままでいてくれたわけです。
 もう1回輸出制限したのは、ソ連がアフガニスタンに侵攻した1979年、アメリカは対ソ連の穀物輸出を禁止しました。ところがソ連はまったく困らず、アメリカの代わりにアルゼンチンやそれ以外の国から買えたわけです。結局割を食ったのはアメリカ中西部の穀物生産農家でした。
 私は当時アメリカに留学していましたが、アイオワ州などを車で通ると至る所で「Farms for sale」、この農場売りますという看板が立っていました。
 つまり輸出制限すると必ず損をしている。輸出制限は国際市場での供給を減らすことですから、アメリカの輸出制限によって穀物の国際価格が上がり、オーストラリア、カナダ、EUといった他の輸出国が利益を増やすわけです。だから今のアメリカは絶対に輸出制限をしないと100%自信をもって言い切れます。

(以下、次回へ続く)

(Futures Tribune 2024年10月25日発行・第3320号掲載)

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