誕生40周年東工取物語【中】~渡辺佳英理事長の辞任劇
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東京工業品取引所(現・東京商品取引所)の歴史において、大きな事件や出来事はいくつもあったが、創立初期の大事件といえば渡辺佳英理事長の任期途中での辞任劇が挙がるだろう。これは商品取引員と対立した渡辺理事長が辞任に追い込まれたという図式だが、直接的にいえば当時の商品先物業界リーダーであったカネツ商事の清水正紀社長と渡辺理事長との遺恨が深まった末の場外乱闘という見方ができなくもない。通産省出身の取引所トップが業者と揉めてその立場を追われるという、前代未聞の事件だったが、今回はこの辞任劇を振り返ってみる。
日本商品取引員協会理事などを務めた木原大輔氏は、著書「先物五十年の風雲」の中で、商取業界50年を語るうえで避けて通れない問題として「渡辺佳英東工取理事長の辞任問題」を挙げている。渡辺氏は東工取の前身である東京金取引所で初代理事長に就任した大物理事長であった。辞任したのは1987年6月で在任期間は6年3カ月だったが、その間商品先物業者といくつかの軋轢が生じていた。木原氏はこの辞任問題について「詳述すれば優に一冊の読み物ができる」と語っていたが、木原氏のもとに届けられた当時の抗争内容をまとめた手紙がこの問題を簡潔に示しているので引用する。なお手紙の差出人は木原氏が伏せている。(以下、本文)
- ここ2年ばかり東工取(渡辺佳英理事長)と商取業界全体の間でもめごとが絶えません。とうとう1カ月前から、関東地区商品取引員と東工取との間でもめごとが表面化し、目下収拾が困難な状況に至っております。
- 問題のポイントは、直接的には、東工取と東穀取2取引所の電算化計画をめぐって、次のような点で紛争が発生しているのです。
- 東工取が30億円をかけてザラバ方式で、また、東穀取が10億円弱をかけて板寄せ方式で、別々に電算化計画を進めていることに絡んで、両方の取引所に加入している商品取引員は、全く二重投資になり、経費負担に耐えられないということです。
- とくに、東工取の電算化計画が、会員の総意に基づくものではなく、全くといってよいほど取引員不在の形で話が進められ、取引員は納得していない。
- また、東工取の電算化に係る予算措置が独断的で、取引員としては許せません。
- 具体的には、東工取のそれは、30億円の事業費について、東工取は「取引員に迷惑をかけない、取引所の経費で賄う」といっていますが、これはおかしいのです。というのは、例えば昭和61年度の取引所予算13億5,000万円に対し、約24億円の収入を出し、差し引き10億5,000万円の剰余金で賄うことになるのですが、取引所の益金(この場合10億5,000万円)に対しては、一般事業会社の法人税と同様55%近い法人税がかかるので、これを支払った残りで事業費に充てることになります。そうすると、30億円でやれるものが、実質70億円近くもかかることになるのです。
- そこで取引員は、今期は決算前にいったん剰余金を取引員に返して、電算化費用が必要ならば、当初から特別事業費として予算に計上しておけば、無駄な税金を払わずに済むのですが、渡辺理事長は頑として聞き入れてくれません。そればかりか、三百代言的法令解釈により、取引員の感情を逆撫でするような暴挙に出ているのです。
- この予算問題は、前年の同60年度もあり、60年度は約8億円の剰余金に対して、商品取引員は適当額を返戻するよう申し入れたのですが、このときも清水正紀さんや多々良義成さんらの熱心な説得にもかかわらず、また通産省の仲裁にもかかわらず、わずか1億円の返戻に止めました。しかもその際、「次年度からはそのようなことをしない」と約束をしながら、61年度でまた、同様の挙に出てもめているのです。
- この東工取の独断専横的な態度は、2年前の取引所取引の「違約に関する特別担保金」問題でもありました。また、自己玉問題等でも、全商連レベル15取引所対東工取が対立して収拾がつかなくなっています。(以下略、引用終)
1987年(昭和62)は、日本の商品先物業界にとって国際化を推進する前進的な話題が相次いだが、渡辺理事長の辞任は最大の事件として扱われた。辞任は6月30日付で表向きは「健康上の理由」であったが、そこに至るまでの経緯は業界関係者なら誰もが知っていた。
通産省は天下りOBの任期途中での交代を原則認めていなかったが、この辞任劇はかなり衝撃が大きかったようだ。因果関係は不明だが、当時担当室長であった宮本恵史氏はこの事件後、ほどなくして通産省を去っている。
前述の手紙にあるように、軋轢の主な原因は東工取の電算化やザラバ化の問題だった。商品取引員と渡辺理事長の対立が決定的に深まったのは、「渡辺メモ」と呼ばれた通知が会員である取引員に配布された時である。これは渡辺理事長が自らの方針を示したもので、主な内容は①定率会費の剰余分は返済せずに内部留保に充てる、②電算化は断行する―というもので、その一方的なやり方に取引員の一部で強い反発が起こった。
ただし現在から振り返ると渡辺理事長の方針自体は当時の風潮に照らして理にかなったものであったといえるだろう。それまで日本の商品先物業界は世界とほとんど交渉を持たずほぼ鎖国状態であったが、国際化に足を踏み出す際、予想される投資の原資を確保しようとするのは取引所のトップとしては当然の動きである。電算化もザラバ化も、グローバルスタンダードに沿った対応であった。むしろ対立の底流には感情的な抵抗がより強くあったといえるだろう。
<続く>
(Futures Tribune 2024年11月26日発行・第3327号掲載)
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