コメ先物本上場実現間近、21日に認可発表へ

2024-06-20

 堂島取引所が2月に申請したコメ先物市場の本上場申請が認可され、21日に主務省から発表される見通しだ。複数の関係者が語った。コメ先物は2011年8月、東京穀物商品取引所と関西商品取引所(現・堂島取引所)が試験上場を開始し、13年2月に堂島取へ一本化されてからは2年ごとに試験上場の延長を繰り返し、4度の延長を経て21年8月に不認可とされた。今回、不認可からわずか3年という短期間での本上場実現は異例中の異例といえる。22年4月に東京商品取引所が本上場した電力先物は経産省の多大なバックアップがあったが、コメ先物についても同様の背景があった模様だ。


 本上場の意味合いは認可後に解説するとして、これまでコメ先物に適用された試験上場制度を詳述する。
 日本の商品先物市場に試験上場の制度が導入されたのは1990年(平成2)12月、改正商品取引所法施行により実現した。この時は商品先物市場の国際化を基本理念に据え、試験上場制度の他、オプション取引の導入、自主規制団体の設立、委託者資産の完全分離保管、外国企業への会員権開放(当時の商品取引所は株式会社化されておらず会員制だった)など、現在に繋がる市場設計の下地が敷かれた非常に大規模な法改正であった。
 制度導入の背景には、商品先物市場において新規商品上場のハードルが非常に高かったことが理由に挙げられる。新商品の上場を検討する際は、当業者が常時先物取引に対し消極的な姿勢を示し、推進派と反対派で議論が硬直化した。
 主務省も90年2月の商品取引所審議会において、法改正に関する答申の中で「わが国の商品先物市場は上場商品が少なく、世界的に未だローカル市場だ。また商品の上場では経済的ニーズがあるのに、機動的な上場が難しい」と懸念を表明している。
 90年当時、全国には商品取引所が16カ所存在した。うち農水省の管轄商品を取り扱う取引所は12カ所だったが、農水管轄のほとんどの取引所は長らく新規商品の上場がなく、かつての主役であった穀物や繊維の先物は低迷し、粗糖だけが何とか流動性を確保している状態だった。
 これに対し通産省(現・経産省)が管轄する東京工業品取引所(現・東京商品取引所)では1982年(昭和57)3月に金、84年(同59)1月に銀および白金を上場して以来成長を続け、取引シェアで国内トップとなっており、商品先物は完全に貴金属主導の流れへとシフトしていた。
 こうした状況下で、アメリカで採用されていた商品を円滑かつ迅速に上場できる試験上場制度に白羽の矢が立った。アメリカなど先物取引が活発な国では、先物市場への新規上場は基本的に当業者への説明や説得は行われるが、商品については生産者・流通業者・消費者・投資家に至るまで等しく価格変動リスクに晒されているとの見方があり、比較的に短期間で認可される傾向にあったのである。
 国内で試験上場制度が初めて適用された商品は、東京穀物商品取引所および関門商品取引所のとうもろこしと東京工業品取引所のパラジウムだった。どちらも91年10月の商取審で了承された。
 なお試験上場には延長制度があり、2年もしくは3年間の取引期間中、本上場実現が困難と取引所が判断した場合など、主務省に期間延長の申請をすることができる。2011年8月に試験上場されたコメ先物も4度延長を繰り返し、21年8月に不認可とされた。そのため今回堂島取は本上場一発申請にかけたのである。

(Futures Tribune 2024年6月18日発行・第3294号掲載)
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