ありがとう、多々良義成さん~激動の思い出【3】
金管轄巡る大蔵省vs通産省、渦中で力技の答申まとめ
2023-07-13金先物市場創設に奔走していた頃
出典:(株)市場経済研究所「フューチャーズ群雄の素顔」
「東大出のエリートには相場の世界は向かんかもしれんが…」と言いながらも、豊商事(現・豊トラスティ証券)を創業した多々良松郎氏は甥の義成氏をスカウトした。東大卒業後、住友海上火災保険に入社した義成氏は1962年(昭和37)4月、豊商事に転職した。25歳の時である。当時商品先物業界は小豆と繊維が主力であった。大手商社による仕手戦も日常茶飯事だった。わざわざ社会的地位を下げるような転職に臨む義成氏に対し、住友海上の上司は当然慰留する。だが、商品相場に何らかのロマンを感じたのだろう、慰留却下された辞表を出し続け、ようやく3回目で退職が決まった。
当業者説得へ東奔西走、商社のバックアップ取り付け
金先物市場創設にGOサインを出した安倍晋太郎爆弾発言(1981.12.26)で門は開かれたが、難題は山積していた。まずは何をおいても当業者の協力を取り付けなければいけなかった。商品先物市場への上場は、当業者からの要望が大前提となっているからであり、金にとっては地金商や加工業者などがこれに該当した。
義成氏は当業者を説得すべく奔走した。同時に、商品先物業界内部に対しては業界を挙げた協力体制を構築する必要があった。実際、にわかに現実味を帯びた金上場に対し、商品先物業界は当然盛り上がった。ただ業者の中には、自民党のバックアップを受けたことで金取引所設立を当然視する向きもあったが、義成氏は全協連理事会の場で、会長の立場でこうした楽観ムードを戒めるよう忠告している。
実際、田中貴金属をトップとする金地金業界は金取引所設立に消極姿勢だったのである。新商品の上場運動においては「当業者主義」という錦の御旗を掲げ続けなくてはならず、この原則からすると当業者を味方につけるのは避けて通れない行程であった。
義成氏は幅広いネットワークを駆使し、説得や協力要請を繰り返した。これには東大ボート部で培った体力と人脈がものをいった。その甲斐あって、大手商社は公設市場創設に賛成の立場へ変わり、主だった地金商も「表立って反対はしない」とする内諾を取り付けたのである。
この時水面下では金の管轄を巡り大蔵省と通産省の綱引きが始まっていた。
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用意周到に練られた奇襲策、金市場創設の爆弾発言
参考:(株)市場経済研究所著「(商品先物市場)フューチャーズ群雄の素顔」,(株)市場経済研究所,1998年
(Futures Tribune 2023年7月11日発行・第3226号掲載)
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