幻の大型商品「野菜先物」、20年前横浜取が乗せた夢【下】

2024-10-24
野菜イメージ画

 2004年12月20日に取引開始された野菜先物であったが、年の瀬にもかかわらず出来高は年間4万7,215枚を記録した。ところが翌05年は年間を通じて17万3,098枚(全商品中26位)と伸びず、横浜商品取引所は自主再建を諦めざるを得なかった。
 横浜取は06年4月、東京穀物商品取引所へ吸収され解散した。その時野菜先物は東穀取に移管されたが、06年の年間出来高は9,823枚(同32位)と1万枚を割り込み、取引最後の年となった07年は1,539枚(同39位)と静かに市場は消えた。
 野菜先物が試験上場された04年から05年にかけては、
 ①改正商品取引所法の施行による勧誘規制の強化(05年5月)
 ②商品先物委託手数料の自由化(05年1月)
 ③個人情報保護法の全面施行による名簿売買などの禁止(05年4月)
 と商品先物業界に対する3本の荒波が一気に迫っていた背景はあっても、なぜ野菜先物は伸びなかったのだろうか。
 そこには抜本的に卸売市場の問題点を指摘する声も聞かれた。2023年に農業シンクタンクである農政調査委員会が開催した「農産物市場問題研究会」において、卸売市場政策研究所の細川允史代表による講演をもとに分析してみる。

 そもそも青果物の流通そのものが大きく変化しており、改正卸売市場法施行により、新たな再編段階に入ったとしている。卸売市場の取扱高は1989年(平成元)をピークに減少しており、市場と卸売会社の再編が進展しているという。
 同氏によると、日本の卸売市場制度は世界的にも特異かつ高度な発展を遂げており、歴史的には 3段階に分類できるという。
 第1段階は江戸時代~大正期までの問屋制卸売市場、第2段階は大正末期~2020年(令和2)までの中央卸売市場法・旧卸売市場法期、第3段階はそれ以降~現在に至る改正卸売市場法期―と分類している。野菜先物は第2段階における話ではあるが、流れを理解するために振り返っておきたい。
 第1段階から第2段階移行期の特徴として、以下の点があげられる。
 ①卸売業務の担い手は同じ(問屋衆)
 ②自主ルールでの運用だった形式を、中央卸売市場の開設自治体が開設者として業界の指導にあたり、取引にもセリ・入札原則を柱として厳しい規定が設けられたこと
 ③これらを入場企業に厳しく叩き込んでスタートし、日常的にも厳格な監視・指導が行われたこと
 なお第2段階の後期では、花き部、食肉部も設けられ、地方卸売市場も制度化されてメンバーが拡大した。卸売市場整備基本方針の制度も設けられ、国主導での卸売市場の展開が行われた。

 第2段階から第3段階移行期の特徴としては、以下の点があげられる。
 ①改正卸売市場法が2020年6月22日に施行されたが、形式上は従来通りの取引手法が踏襲されたことで、関係者に大きな変化との意識がなく、市場参加企業も制度が変わったという認識が薄かったこと
 ②卸売市場開設の手続きは認可制から認定制に移ったが、業界はその意味を理解していなかった。だが、取引規制の法制化は各卸売市場の自主的判断を促し、卸売業者認定の開設者の自己責任で、日が経つに連れ、その大きな変化を実感するようになる。
 なお、直近数年間で経営内容の悪化が加速した市場外企業が目立つが、これは法改正によるものではなく、卸売市場を取り巻く環境の変化が続いたことが、法改正に結びついたという見方が正確だと指摘している。

 ここで改正卸売市場法の影響をみると
 ①直荷引の法的規制撤廃により、仲卸業者が所属市場でない拠点市場への直荷引を拡大している。このため所属卸売市場の卸売業者への影響が甚大となった
 ②第三者販売の法的規制撤廃により、卸売会社内にスーパーなど取引部門を作り、入荷品の自己貿受と直販をする卸売会社が出てきている
 上記2点は仲卸にとっては危機的状況だが、法的に問題はないという。一方で仲卸業者の経営規模が小さいなど、対応し辛い現実も背景にある模様だ。
 第2段階においては、卸売会社は出荷者から集荷、これを仕入れて販売するのは仲卸業者・売買参加者と役割分担されていた。優秀な卸売経営者とは産地から荷を引いて来る能力であるという認識が広まっていた。
 しかし、旧卸売市場法の施行後半(1995~96年頃)から、中央卸売市場法の原則であったセリ・入札比率が 5 割を割るようになり、旧卸売市場法の形骸化が目立つようになる。
 情報化の進展、市場間格差拡大なども進行し、融資を受けている銀行から経営者を招聘する動きが増える。また社内でも業務畑でなく管理畑から社長が出るようになり、実績の向上をもたらした。つまり『「荷受け」からの脱却』があったのである。

 第3段階に入る前後からは前述の傾向が一層顕在化し、直近の状況では、社長、幹部役員を他業種大企業から招聘する例も出ている。
 東京・大田市場に象徴される大型拠点市場であるが、出荷の集中化により、転配送機能に回せる敷地の余裕がなくなってきている。いわゆる2024年問題で、多くの周辺市場への直接出荷ができなくなり、大型拠点市場への集中度が高まると、応じ切れなくなるため、早急に対応策を講じないと首都圏への出荷が少なくなるとの懸念も生じている。
 中央卸売市場中心の展開は、中央卸売市場法の施行当時は、出荷者が零細個人、買い手が個人経営小売店だったので、卸売業者が優勢だった。ところが1955年頃から顕在化したスーパーマーケットの進出と拡大の中で、卸売業者はこれまで取引の中心という立ち位置から、生産サイドと小売店サイドが優位に立ち、真ん中の卸売市場が沈むという、卸売店にとっては負のカーブを描き始めた。
 しかも「赤字でダメになっても代わりはいくらでもいる」とスーパーのバイヤーは強気で、系統出荷比率が高い青果では、特に深刻なダメージを受けた。
 この頃出荷団体は、かなり前から中央卸売市場法の原則である無条件委託出荷をしながら、希望価格の発信もしている。こうした行為は旧卸売市場法下では、単なる希望の表明であるので法に抵触はしなかった。
 お願いという位置付けであったはずの希望価格だが、セリなど出来値との差額を卸売会社側が仕切り金に足すという行為が現実にあり、これによる差損が発生した。
 さらに、デジタルプラットフォーム方式を取リ入れた卸売市場もあるが、需要者がプラットホーム上で注文を出すので出荷者から直送も可能となる。物流トラックで他の荷との混載を容易にするシステムができれば、卸売市場を現物が経由しない可能性も拡大する。
 上記プラットホームの運営者は、オンライン上にあるので、各地に卸売会社がいる必要はなくなる。その分、経費も節減可能となる。
 これにはトラックドライバー不足の深刻化で、例えば首都圏への輸送では、荷下ろし先を1カ所に集約して欲しいという要求が多い。大規模拠点市場の荷受け機能にも限界が来ており、豊洲市場水産物部のような行政が設置した転配送センターがないと問題は解消しない。
 このまま市場間格差の拡大を放置すると、単独卸売市場は経済的に脆弱なところから廃業が続き、全国的な卸売市場ネットワークが崩壊する懸念が高いと、細川氏は指摘している。

<完>

(Futures Tribune 2024年10月22日発行・第3319号掲載)

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