食料の安全保障、コメの需給はどう変わったのか【2】

自主流通米の入札制度に潜む大きな問題点

 1969年(昭44)に導入された自主流通米の売買は相対取引で行われてきたが、90年(平2)に入札制度が導入された。だが入札には様々な問題点があった。
 まず自主流通米といっても政府の管理下に置かれたものであった。一方の買い手も正規の免許を持つ全国約200の卸売業者に限られており、結局は農家が自由にコメを売買できる場ではなかった。
 入札の流れは以下のとおりである。売り手(経済連など)が自主流通米取引所を通じて自主流通米価格形成機構に売りたいコメの銘柄や量(予定)を提出し、機構がリストを買い手側に公示する。買い手はそのリストを見て希望の銘柄や量を入札するという仕組みとなっていた。
 だが自主流通米の入札には大きな問題点が2つあった。まずは買い手がリストだけをもとに入札しなければならず、現物米を確認することができない。つまり現物取引の場でありながら、実態は値決めだけの場となっていたことである。2つ目は売り手側の経済連の多くが卸売業者の免許を保有しており、つまり買い手側でもあるという点である。このため、例えば自分が売り手として出したコメについて、買い手側に回り上限ギリギリの高値を付けることもできた。
 これだと需給関係に根差した落札価格ではなく、実態を反映しない歪んだ価格が形成される危険性が高くなる。また、売り手側の経済連が一部の卸売業者にリストを通じて提示した価格や数量を押し付けていたという見方もできた。こうした指摘を受けた機構側は、93年産米の取引以降、売り手側のコメに入った入札については、即座に買い手側の名前と入札価格を公示するようルールを変更した。しかし同年は大凶作となった平成米騒動の年で、結局入札そのものが廃止され、翌年には食管制度も終わりを迎えることになる。
 ただ入札で流通する割合は自主流通米全体の25%に過ぎず、残りの75%は相対取引によるものであった。
 その相対取引は食管制度末期において取引ボリュームが最も大きい流通経路だった。
 まず相対取引は全農が窓口を務めていた。当時全農は全国に札幌、東京、名古屋、大阪、福岡の5カ所に支所を持ち、各支所の管内で現地のコメを取り扱っていた。卸売業者は全農各支所の担当者と価格や量を交渉する形になっていた。ところが交渉で決まる価格は直近の入札における落札価格が基準となるため、需給関係が反映されていたとはいえない状況であった。
 売買量についても基準になるのは過去の実績で、交渉過程でも微調整のレベルにとどまっていた。
 つまり、相対取引とはいえその実態は全農が取り仕切る流通市場に他ならなかった。
 農協の倉庫に保管された自主流通米は入札もしくは相対で買い手が決まると、全農が出庫指令を出し消費地の卸売業者に渡る。それ以降の流れは政府米と変わらず、消費地で精米され標準価格米として小売業者や外食産業に売られていった。


青森発、生産地の小売店からコメが消えた!

 前述した平成コメ騒動は1993年(平5)9月、青森から始まった。それが岩手、宮城へ南下し、10月下旬には福島と山形へ飛び火した。だが東京など都市部ではコメが品薄傾向ではあったものの、意外にもこの時期それほどの混乱は生じていない。小売店からコメが消える異常事態は、実は消費地ではなく生産地から発生していたのである。
 理由は生産者がこの年、小売店でコメを買う消費者に転じたためとの分析がある。コメ農家は大凶作で収穫が激減したため一家の消費分を小売店で買い求めるようになった。さらに親戚に送る縁故米(ヤミ米)など、不足分のしわよせが小売店に集中したことで生産地の需要が急激に上昇し、供給が追い付かなくなった。
 この結果、店頭からコメが消え店のシャッターを下ろす小売店の姿が大々的に報道されていった。これがコメの供給不安を煽ったということにも繋がり、ある意味コメ騒動は人為的な側面も大きい。
 だが見方を変えると、食管制度という建て前の裏に潜むコメ流通の歪な実態が顕在化したともいえる。つまり水面下でのヤミ米ルートが大凶作によって絶たれ、食管制度の下でコメ調達せざるを得なくなった消費者が、正規の供給源である小売店に殺到したパニックこそがコメ騒動の本質との見方もできる。
 大凶作に見舞われるまで、政府米在庫の適正水準は100万tとされていた。コメの供給計画などは通常新米の収穫がほぼ終了する11月を基点に、翌年の10月までを1年と考える「米穀年度」で組み立てられる。10月末時点で100万tのコメを残し、それを11月からの新米穀年度に繰り越すことを続けていけば、凶作など不測の事態に直面してもコメの供給は揺るがないという考えである。

(Futures Tribune 2021年8月26日発行・第3163号掲載)

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