「物価の優等生」鶏卵先物上場物語(上)

安定価格は消費者サイドのみ、裏側には卸値の乱高下

2023-05-11
パック卵画像

※写真はイメージです

 日本で「物価の優等生」とされ、値段が乱高下しない安定供給が強みだった鶏卵が高騰している。コロナ禍以前と比較すると、この4年で卸売価格は3倍に暴騰し、スーパーマーケットでは10個入り1パックが300円を超える。背景には鳥インフルエンザで1,500万羽を超えるニワトリが殺処分され、そのうち9割が採卵鶏とされている状況がある。さらに餌代の高騰による影響も大きく、当面鶏卵は高価格帯で推移していきそうだ。そんな鶏卵は、国内の商品先物市場で上場されていた歴史がある。


物価優等生の裏側に潜む価格 変動リスク「エッグサイクル」

 日本国内における鶏卵先物の歴史は、上場推進の検討時期まで辿ると1965年(昭和40)まで遡る。当業者団体で ある日本卵業協会(日卵協)が同年農林省に対し、鶏卵取引所の必要性を訴えたのである。この時は日卵協が取引所の設置要綱および取引要綱の作成に着手するほど力を注いでいたが、当業者から強い反対の声が上がり実現には至らなかった。
 日卵協が市場の必要性を訴えた理由は、その当時鶏卵業者が卸売価格の変動リスクに晒され、安定さを欠いた経営状況だったためだ。卸売価格が大きく変動するのは、「エッグサイクル」と呼ばれる特有の変動要因が影響を及ぼすためで ある。これは換羽期などの季節要因もあるが主に人的要因で、卸売価格が高い状態だと養鶏業者が収益増を狙い羽数を増やすことになり、その結果供給過剰で価格が下がり、再度羽数を抑えて価格が上がるという繰り返しのサイクルを指す。
 一方で、鶏卵の販売価格は「物価の優等生」とされ、1950年代から最近の高騰直前までおよそ70年にわたり多少の値上がりはありつつも、安定した価格での提供が続いた。総務省統計局の小売物価統計調査によると、鶏卵価格(東京都区部、1キログラム換算)は日卵協が声を上げた1965年は平均で219円なので、現代の高騰前とさほど変わらない水準である。また、鶏卵の自給率は農水省によると96%(2019年度、重量ベース)と非常に高い。コメ同様、鶏卵も国内の小売店で売られているのは基本的に国産である。
 乱高下する鶏卵の卸売価格に対し、消費者が安定した販売価格でこれを入手できるのは、生産調整による補填金が出ているためである。鶏卵の生産調整は「鶏卵生産者経営安定対策事業」と呼ばれ、鶏卵価格が補填基準価格を下回った場合、基準価格との差額の9割を生産者に補填するものだ。
 さらにもう一段階、鶏卵価格が安定基準価格を下回った場合には、ニワトリを減らし鶏舎を空ける措置が取られるが、その空舎期間に応じて減らしたニワトリ1羽当り210円~620円の奨励金が支払われる。鶏舎を空ける作業は「更新」と呼ばれるが、これは卵を生む適期を過ぎたと判断したニワトリを食肉用に出荷し、新たなニワトリに入れ替える行程を意味する。鶏卵の生産調整には、年間50億円超が充てられている。


業界団体から鶏卵先物待望論、足並み揃わず頓挫

 話を1965年に戻すと、この当時の農業政策は全般的に価格安定が最大の目標で、これに向けた数々の機関が新設されていた。鶏卵関係では価格差を補填するための「全国鶏卵価格安定基金」(1966)、「全日本卵価安定基金」(1966)、調整保管等を目的とした「全国液卵公社」(1967)などがある(カッコ 内は設立年)。
 これでは日卵協の自由市場構想が封殺されたのも仕方がないといえるだろう。だが当時の鶏卵集荷状況をみると、全農系統が30~35%、流通業者が65~70%で流通業者の比率が高かったが、業者ルートも大手2社で大部分が占められ、中小業者は全農を中心とする硬直的な建値と変動幅が大きい卸売価格の板挟み になり、安定経営が難しい状況にあった。実際、日卵協内部でも会長専任に際し、大手業者と中小業者が激しく対立する問題も生じている。この時は選挙戦までもつれ込み、中小業者サイドが勝利し取引所推進論者の会長が誕生した。
 こうした動きも後押しし1973年11月、日卵協は日本経済調査協議会に要請し、鶏卵取引近代化のための組織市場(=取引所)の検討を提言した。これを受け翌74年7月、食品流通システム協会畜産物部会が鶏卵部会を設置し、鶏卵取引所に関する研究を開始している。
 ここでは13回の分科会と3回の小委員会を経て、翌75年10月に「鶏卵先物取引並びに鶏卵取引に関する報告書」を取りまとめ、先物市場への上場を提起した。同時期、日卵協などの鶏卵関係者はシカゴ・CMEの鶏卵先物市場や国内の商品取引所を見学するなどして、東京穀物商品取引所からは先物取引について 指導も受けている。
 だが鶏卵関係5団体(日卵協、全国鶏卵事業協同組合、全農、全国鶏卵販売協同組合、全国養鶏事業協同組合)の中で先物に対する温度差が高く、日卵協以外は具体的な検討作業を進めることなく、結局鶏卵先物上場は構想が宙に浮いたまま頓挫した。


地方商取が鶏卵先物にスポット、存廃賭けた勝負へ

 5年度、再び鶏卵先物にスポットが当たる。ただし、鶏卵業界からではなく商品取引所の側からだった。東京への取引集中が進み地方取引所の経営が厳しくなる中、豊橋乾繭取引所が存続を賭けて鶏卵上場に動き出したのである。1981年3月、取引所内部に「鶏卵取引システム検討会」が設置された。そこで翌年4月までに5回の会合を開き、「上場が適当である」との報告書がまとめられた。

(以下、続く)

(Futures Tribune 2023年4月25日発行・第3211号掲載)
FUTURES COLUMNへ戻る