総合取引所創設から3年
商品先物市場の現状・下

空振り続きの商品先物オプション、復活の芽は?

2023-09-15

本紙第946号(91年5月14日発行)の1面トップの記事

 東京商品取引所が大阪取引所の取引システム「J-GATE」を導入したのが7年前の2016年9月20日であった。その際、長らく休眠状態にあった金オプション取引をリニューアルし、従来のアメリカンタイプからヨーロピアンタイプに変更した。これにより買い手にとって完全な損失限定取引が実現し、取引単位が1kgから100gに小口化されるなど、個人投資家が参入しやすい設計とした。標準金を中心に、ミニ、限日、オプションと、金先物商品を総合的に網羅した形となったが、リニューアルしたオプションも早々に頓挫した。今回は、システム導入からオプションを振り返ってみる。


遡る1991年(平成3)、システム導入の時代

 東商取のシステム売買は、東京工業品取引所時代の1991年(平成3)4月1日にスタートした。初日出来高は金1万859枚をはじめ合計でおよそ2万9,000枚だった。貴金属市場が金・銀・白金の3商品のみで、石油市場は当時まだ存在していない。取引所も北海道から関門まで全国に16カ所、関連する業界団体も24あった。
 時代はちょうどバブル崩壊が始まった頃だが、この年は商品先物業界にとって大きな出来事が続いた。上記の東工取システムに加えて、6月3日には東京穀物商品取引所で米国産大豆先物のオプション取引が開始された。これが国内初の商品先物オプション取引となった。
 続けて7月1日には商品ファンドの一般販売が始まっている。「商品投資に係る事業の規制等に関する法律」、いわゆる「商品ファンド法」が成立したのは4月20日のことで、商品ファンドの最低販売単位が1億円と決まり、関連団体として日本商品ファンド業協会が設立された。
 ついでにこの年は世界的に見ても、12月にソビエト連邦が消滅するなど激動の1年となった。
 話をシステムに戻すと、東工取がシステム売買に対して4月1日開始を発表したのは、1月31日だった。正式決定したのは、2月19日の理事会で、いずれにしても現在では考えられないタイムスケジュールだ。だが模擬売買はすでに前年の12月からスタートしており、これが順調に推移していたことから判断したようだ。4月1日スタートとしたのは、単に年度の区切り目だということのようである。
 しかし理事会決議後の2月26日、東工取金取引員協会は取引所の担当者を呼んで意見交換や質疑応答を行う会合を開いている。会合には80人ほどが出席し、端末機種がより利用しやすい仕様への改善、取引所の値付けに当たっての運用上の問題などに対し意見が寄せられている。
 中でも、模擬売買の段階ではわかりにくい項目として、基準値操作の時間的な間隔について質問が飛び交ったようで、どうも一筋縄ではいかなかった様子が伺える。
 結局、当時の間渕直三理事長が「4月1日始動」を断言したのは、何と直前の3月11日である。3週間前になって最終的な通告であるかのような記者会見を開き、取引員に対して「システム売買移行に伴う新しい企業経営、営業方式、機械操作などに早く慣れて欲しい」と述べていることからも、最後まで反対の声が消えなかったのだろう。


オプション取引も苦渋のスタート

 実は先物オプションも、導入間際になってバタバタしていた。本紙第946号(91年5月14日発行)の1面トップ見出しには、「大豆オプションまで、あと20日 農水省、苦悩にじませGOサイン 問題解決へ議論の場求める取引員各社」とある(上記参照)。
 これは大豆オプションが開始直前になっても、値洗い制度の未整備により投資効率の悪化や流動性の欠如を指摘する声が止まず、農水省も「一番の問題点」と認めつつ時間の関係で認可せざるを得なかったという経緯である。
 当時は東穀取だけでなく、東京砂糖取引所、大阪砂糖取引所もオプション取引の導入に向けて議論を進めていたが、共通の問題としてオプション買建玉の評価益が認められない点が指摘されていた。
 これにより取引リスクに関係なく証拠金の増加が余儀なくされ、投資家の参入が難しくなるという問題が生じ、農水省でも「最も解決したかった点だが、完全決着には現行証拠金制度の見直しにまで及ぶ問題」(課長補佐)と解決の時間的な見通しが立たず、見切り発車のような形になった。
 当時オプション市場が隆盛だった米国では、機関投資家による大量の売買が、ヘッジャーや一般投資家の玉を吸収して、市場機能を維持していた。これは現在の国内商先市場が理想とする体系である。だが、当時はこうした大口参加者が不在で、この役割を取引員が担うしかなかった。
 結局大豆オプションは、スタートこそしたものの、鳴かず飛ばずで終わっている。
 以後、上場したオプションがいずれも伸びなかったのは、上記の理由に加え、取引員がオプション営業に熱を入れなかったことも影響は大きい。
 ちなみに、東工取が所内専門部署として金先物のオプションチームを立ち上げたのは91年6月、大豆オプションがスタートした直後だった。
 「オプション取引は理解しづらい」という意見は、04年の旧システム時代に金オプションを始めた時から聞かれた。実際取引業者の外務員でも、商品特性を正確に把握していても顧客に理解させられるような説明のノウハウが浸透していなかった。
 こうした当時の失敗を受けて、東商取が金先物オプションのリニューアルに際し、「TOCOM先物・オプションシミュレーター」の提供サービスを始めたのは16年9月8日であった。
 ただ、9月20日のリニューアル初日こそ出来高111枚(建玉109枚)だったが、翌21日は52枚(159枚)、22日は4枚(163枚)と、早くも休眠に近い状況に至った。
 取扱業者は日産証券、サンワード貿易、EVOLUTION JAPAN、フィリップ証券の4社で、フィリップは海外玉の受託であったため、国内の個人投資家を対象にした業者はフィリップ以外のわずか3社しかなかった。
 その後金先物オプションは、何とか月間3,000枚程度の水準で推移したが、2020年4月以降取引ゼロの状態が続いている。
 オプション取引が理解しにくい要因として、前述の「TOCOM先物・オプションシミュレーター」を開発したシンプレックス・インスティテュート代表取締役の伊藤祐輔氏は、かつて講演で一般論の定義が良くないと断じている。
 具体的にはオプション取引について、以下のような特徴を持つ「権利の売買」という言い方がややこしくしているという。

①ある商品を将来のある期日(満期日)に、
②あらかじめ決められた特定の価格(権利行使価格)で買う権利(コール)、または、売る権利(プット)
③この権利の買方は権利を放棄することが可能であるが、売方は権利行使には必ず応ずる義務がある。

 こうした抽象的な言い方がかえって不理解を助長すると懸念している。
 もっと実用的な例をあげるとわかりやすいのであれば、例えば日本の自動車会社が1ドル=100円の時に1億ドル(=100億円)分の車を買ってもらう契約をアメリカの会社と結び、その代金が3カ月後に支払われるとする。
 このとき、日本の自動車会社が困るのは、3カ月後に「円高ドル安」に進んでいる場合である(つまりドルの価値が下がっている状態)。そこで、オプション市場で「3カ月後に1ドル=100円でドルと円を交換できる権利」を買っておく。これで、3カ月後に円安ドル高になっていても1ドル=100円は保証され、逆に円安ドル高の1ドル=120円になっていたら、「1ドル=100円」の権利を放棄して、120円の価格でビジネスを進めればいい。こうした具体例を示しながら説明すれば、実はオプション取引はそれほど難しいものではないと理解してもらえるのだと強調している。

関連記事:総合取引所創設から3年 商品先物市場の現状・上
(Futures Tribune 2023年9月12日発行・第3239号掲載)
先物業界関連ニュースに戻る